STIJ Project Logo -
-
- STIJ News 現代飲料考 月刊 看板
巷の風景 My Trip私の旅 STIJ Projectについて 近隣諸網
トップページへ 現代風景研究会のBlogへ -

きょうのことば 第18集 2008 The Words

  関連ページ
STIJ News
イチ押し ダメ出し目次
きょうのことば
 第19集
 第18集
 第17集
 第16集
 第15集
 第14集
 第13集
 第12集
 第11集
 第10集
 第9集
 第8集
 第7集
 第6集
 第5集
 第4集
 第3集
 第2集
 第1集
巷の風景

 ことばの使い方ひとつで、ものごとがガラリと変わる。みんなはそう言っているけど、裏を返せばこんな意味なんじゃない? キレイごとは、なし。時事世相に「忍び足、のち急襲」でせまっていきたい。
 (「きょうのことば」は、「STIJNews」のワンコーナーです。ここでは過去のバックナンバーを収録しています。)

20081027号

心霊写真は心理写真

◆子供のころ、本屋で立ち読みした「恐怖の心霊写真集」なるものが怖くて仕方がなかった。
立ち読みしたその日の夜、ふと本の内容を思い出して眠れなかった覚えがある。

◆心霊写真はなぜ怖いのか?
現実世界に存在しないものが写っているから? 写っていないものが写っているから?
それもあるかもしれない。
だが、こうした写真に共通してあるのは「情報量の少なさ」である。情報が少ないがゆえに恐怖を誘うのである。
たとえば手持ちの写真を心霊写真風にしてみたいと思ったら、PhotoshopやGIMPなどのフォトレタッチソフトで次のような加工をしてみるといい。

 1.カラーをモノクロに変換する
 2.薄くぼかしを加える
 3.ノイズを加えたり、トーンカーブを変えて粒子を粗くする
 4.コントラストや明るさを落とす
 5.人物写真の眼の部分に黒い線を引いてみる(←重要。モザイクはNG)
 6.画像のコントラストの低い部分に白や黒の線で丸を描いてみたり、矢印を引いてみる
 7.構図バランスに関係のないトリミングをしてみる。さらにトリミングした画像を拡大してみる
 8.レイヤー機能で別の画像を合成したり、逆光フィルターで加工するのはお好みで
 9.画像と関係のないキャプションをつける。「昭和53年頃撮影」など。「頃」という部分に注意。

◆これらはどのような作業をしているのか、と言えば、「元画像に含まれる情報量を減らし、元画像にはない情報をあと付けする作業、そして画像を見る側の想像力を引き起こさせる作業」なのである。
心霊写真変換というサイトは、こうした作業をCGIスクリプトで自動化したものである。デジカメなどでおなじみの顔検出技術を用いて目線を入れる機能までついているのが興味深い。

◆カラーのいわゆる心霊写真はさして怖くないがモノクロは怖い。これは情報量が少ないからだ。
粒子が粗い画像は情報量が少ない。コントラストが低くて暗い画像もしかり。
情報が少ないからこそ、そこにさまざまな解釈を加えることができる。
白もしくは黒い丸で囲んだり、矢印を引くのは「みなさんここに注目してください。ここになんかいますよ」という情報の付加である。
トリミングや拡大によって「見てもらいたいところ」をクローズアップするのも情報付加である。
ゆえに見る者に対してさまざまな想像力が働く。

◆情報が少ないと人は不安になる。その不安に対して解釈を加えることで解消と理解を試みようとするのは、太古の昔からヒトが行ってきたことだ。こうしてヒトの心理に働き掛け、ヒトの心理で鑑賞させる(する)のが心霊写真、もとい心理写真である。

◆さて疑問。高画素デジカメやハイヴィョン・ヴィデオムーヴィーの時代に心霊写真・映像は存在しうるであろうか。

20081024号

みらいのにゅーす

◆XX県警XX署はYY日、法律で製造・販売が禁止されているこんにゃくゼリーを密造し、インターネット上で販売したとして、XX市内に住む男を蒟蒻を原料とする食品の製造加工および販売の規制等に関する法律(いわゆるこんにゃくゼリー禁止法)違反容疑で逮捕した。

◆などというニュースが流れたらいやなもんだ。

20080908号

みんなつながっている

◆カビがはえている、国内使用禁止農薬が検出されているなどの理由から、「食用用途で使用しない」という条件で輸入される米があるそうだ。これを事故米穀という。
食用で使わないからとそんなものを輸入していること自体がおかしいのだが、これが食用に流用されていたのだからたまらない。今のところ焼酎醸造メーカーしか名前が挙がっていないが、これから驚くべき企業名が次々に出てくるにちがいない。

◆もっともこのようなクズ米以下の代物を輸入しなければならなくなったのは、二十数年前にテレビニュースで散々聞いた「ガット・ウルグアイラウンド」である。

◆太平洋戦争に負けた日本は復興のために外貨を稼ぐことを第一義にしてさまざまな工業製品を輸出してきた。安くて壊れない製品を作るために努力したから大成功。プロジェクトXである。

◆戦後復興までの間、日本は外国から入ってくるモノには高い関税をかけて自国の産業を守った。
しかし、デカくて燃費ばかり食うクルマや機能的にいまひとつの電化製品を作っている某超大国の逆鱗に触れて「オレの作ったトマトと牛肉とオレンジを自由に輸出させろ。でなければクルマやラジカセをハンマーでぶっ壊すぞ」というものだから、「濃縮トマトと、牛肉とオレンジ、最後はコメを許しますから、どうかクルマだけは勘弁してケロ」ということになった。この部分の文末は、往年のテレビドラマ「おしん」の小林綾子を思い出して読んで頂きたい。あ、そういえば「おしん」にえらく感動した元総理大臣がいたなあ。

◆ところがその牛肉はそこそこうまいけどBSE、オレンジもおいしいけど農薬たっぷり、コメはコシヒカリやらあきたこまちやらひとめぼれに食べ慣れてしまったらとにかくまずい。スーパーの店頭に並べても売れないからどんどん加工用に回されていった。

◆さらに、日本に売ればカネが入ってくると新興国からコメやら大豆やらがたくさん入ってきた。納豆が3パック68円で買えるカラクリを知ることなく「安くていいわぁ〜」なんて声が聞こえるジャスコ店内。
その間に日本の明るかった農村は「こんな安かったら食っていけない」と若い人は山を越えて都市へ働きに、残された爺さん婆さんが老体に鞭打ちながら野菜を作るようになってしまった。

◆加えて「日本で作ると工賃が高いから」と新興国の激安労働力が加工したギョーザやウナギのかば焼きが入ってきて、こちらも「安くていいわぁ」なんて言って食卓に並べたところで吐き気を催した。

◆みんなつながっている。きのうの出来事ときょうの出来事が。ZEROになってしまったのは日テレの深夜ニュース。

◆しかし、爺さん婆さんは怒らなかった。娘や息子は出て行ったけど、道路や橋ができたからすぐに帰って来られると錯覚できた。都市に出た娘や息子も怒らなかった。質の高いクルマに家電、そして円高差益で安くなったブランドアクセサリーで満たされていたから。物欲が満たされていれば文句も減る。物欲を満たす存在には心も身体も許す。

◆許し過ぎちゃったんだよね。みんな優しいから。そして淋しいから。
でもそれらが本当の優しさや淋しさなのかは疑問。実はその疑問に気づくのがいちばん怖い。

◆そろそろ反撃しようかな。え? 次の選挙のことです。

20080904号

あなたとは違うのに違うと言えない

◆福田康夫内閣総理大臣が辞意を表した際の記者会見で言ったことば。
「自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたとは違うんです」

◆記者が首相の言辞に対して「他人事のようだ」と評したところで返ってきたのがこれ。
もはや逆ギレに近い心境で言ったに違いないが、これがネットを中心に妙にウケてしまった。

◆それにしても、日常生活において「あなたとは違うんです」と言いたくなる場面は多々ある。
どこかに他人や世間と必要以上の同調を迫られる場面が多いことの裏返しかもしれない。
学校であれ、会社であれ、友人同士であれ…「あ、そうですよね、そのとおりですよねぇ」、「あるある」、「だよねぇ」を顔をひきつらせて無理矢理笑みを作って言ってみたことが少なくとも私にはある。

◆「でも、それ違うよね」、「ないない」、「んなわけねーだろ」と言いたい場面があるのに言えない。これらを一言でも発した瞬間、人と人との間に深い溝ができてしまう。
ましてや「あなたとは違うんです」と言おうものなら確実に友達を失うことができる。ボーナスの査定を下げることができる。現代社会における最強の殺し文句である。

◆みんなが言いたいのに言えないことを、一国の首相が辞める最後の最後で、公式の記者会見の場において堂々と言った。これがウケた理由ではないかと私は考える。
もしかしたら福田首相は本当は一番強い人なのかもしれない。でも哀しいかな、その強さを知ったのは最後の最後だったということ。
目に見えない民意と世論にばかり同調し(いや、怯えているのかもしれない)、そのくせ弱い者いじめばかりをする「強いリーダーシップ」なんかよりもずっと強いはずだ。

◆しかし、そろそろ「あなたとは違うんです」と声を大にして言い合った方がいいのではないだろうか。
「私とあなたは同じ」という幻想、いや、悪夢にうなされているのなら、いっそのこと「私とあなたは違う」で闘いを挑んでみるのも一手だと悟った。

20080801号

有象無象その3

◆夏の恋ってすぐ冷めませんか? 冷められませんか?(意見には個人差があります)
いや、いったん冷めてもいいのではないのか。落ち着いてみつめてみるのが大事。(意見には個人差があります)

◆北京オリンピックの開会式で「選手が全員マスクをつけて入場する」という光景が見たかった。

◆エステティックサロンなどの折り込みチラシで見かける「Before,After」の写真。
「Before」の方がとても個性的で魅力があるように思う。(意見には個人差があります)

20080705号

有象無象その2

◆ここ数年、コラムを書く回数が減った。映像や音楽といった表現手段に興味を持ち出したこともある。
写真よりも映像をとビデオカメラを買い、編集したビデオ映像に音楽を付けたくなってシンセとDAWを買い、ナレーションを付けたいと思えばマイクを、そしてオーディオインターフェースを…金食い虫め。

◆過去の「イチ押し、ダメ出し」や「きょうのことば」を読み返すと、あの頃の自分はずいぶん怒っていた。
労働に明け暮れ、どこか妥協してしまう術を覚えてしまった今。改めて思う。
やはり怒らなければ。しかし「キレ」てはならない。
キレたら負け。

◆携帯電話の電子メールが腹立たしくなる時がある。どうして内容ではなく返信速度にこだわるのか。
内容の煮詰まらないメッセージをくり返しくり返し打ち込むことへの徒労と、相手の返信が10分以上遅くなるだけで襲われる不安感。結局、打ち込んだ中身なんて忘れ去られているものだ。

◆先日、旅行先でお世話になった人に「はがき」を書いた。久しぶりにペンで手書きしてみた。
そろそろこの速度感覚をまともに思わなければならない。

◆はがきとケータイつながりで。数年前、ソフトバンクのロゴマークが「〓」という記号に変わった(印刷業界で言うところの「ゲタ」)。プレスリリースでは「坂本竜馬の海援隊旗をイメージした」とあったが、実のところ「パソコンの文字コードで表示できる記号を企業のロゴマークにしたい」という願望があったのではないか。
ちなみに文字コードに実装された企業ロゴの元祖といえば、あの「〒」である。

◆ことわざ。「センタンはフタバよりも芳し」と長い間思い込んでいた知人がいた。アイスキャンディーの比較だと思っていたのか。
正確には「栴檀は双葉よりも芳し」。
関東在住の私はフタバ派である。黒磯駅の「九尾釜めし」が懐かしい。

20080401号

有象無象その1

◆一部地域の、一部の集落だけの「ならわし」をさも「県全域」でやっているように伝えるテレビ番組。
それらを笑いの種にするときには必ず「東京基準」である。

◆「けしからん」と潰しをかけた映画が上映中止になると「残念だ」。もちろん後者のコメントは嘘八百である。件の議員は気に入らない言論や表現を封殺したかったはずだ。

◆「本質的議論」と「その場しのぎの慣例」。道路にしても年金にしても、与党と野党の論点のズレが続いている間に人生はあっという間に過ぎていく。

◆コイズミの次は「どげんせなあかん」氏。すかさず権力に擦り寄るところはたけし軍団からの世渡り上手。

◆「世界一安全な国」とは「世界一生きにくい国」と誰かが言っていた。

…と過去に自分が言ったことを忘れている。

20080202号

ごっつ旨いお弁当大人気の輸入冷凍食品

◆食べて中毒になってしまった人には大変失礼だが、ニュースで回収対象の商品名を読み上げる場面を笑わずにはいられなかった。

◆「ごっつ旨いチャーシュー」だの「お弁当大人気・ミニひれかつ」だのといった真顔で言われたら笑わずにはいられないような名前の商品が今まで店頭に並び、それを何の臆面もなく買っていた自分がいる。

◆さらにこれら商品がすべて外国で製造されていたことの驚き。家庭用冷凍食品だけでなく、業務用として販売されていたものは、きっと近所の定食屋のメニューにも入っていたのだろう。

◆食品を加工するところも空洞化されていたのか。中国は脅威だとか何とか言っておきながら、なあんだ、中国におんぶに抱っこではないか。

◆オーブントースターや電子レンジで加熱するだけというコンビニエンスに対するリスクをあまり考えてこなかったからこそ、ニュースになる。「さっさと輸入禁止しろ」と言うことは簡単だが、弁当や夕食のおかずをすべて自分で作る時間を用意できるか?

20080123号

「夜スペ」で進学塾を起用したわけを考える

 1.大学生を対象にアルバイト、またはボランティアで講師を募る
 2.住民も同様、アルバイト、またはボランティアで講師を募る
 3.講師には一定期間の講習・訓練期間を設けた上で実施する
 4.学習効果および指導効果の測定を漏れなく実施する

◆東京都杉並区の中学校が大手進学塾の講師を招き、中学生を対象にした補習授業(通称「夜スペ」)を1月26日から行なうという。

◆成績上位の生徒に発展的な授業を行ない、高校進学に役立てるというアイデアはとても興味深い。ところが「成績上位の生徒に限定しているところが差別的だ」、「一部の進学塾に儲けを取らせるシステムだ」などの批判も多い。

◆やる前から文句を言っても仕方がない。文句はやってから言えばいい。塾講師の授業には生徒だけではなく、現役の教師も参加すればいい。民間の塾がどのような教え方をしているのか勉強すればいい。

◆外部の塾講師を学校に入れることで生徒の学力のみならず教師の指導力も上げる。結果として学校のボトムアップを図ることができる。そういう意図がこの施策からは伝わってくる。

◆ならば同時に地域住民を巻き込んでみたらどうかと考え、さきの1.〜4.を挙げてみた。なにも受験指導に限らなくてもいい。授業の補習や宿題の指導役に地域の人たちの力を借りるという方法もあるはずだ。

◆…と言ってみたところで、他の学校等においてもこうしたアイデアが出てきたはずだが、実現が難しいと判断したのだろう。理由はただ一つ。
学校内にいろいろな部外者を入れると防犯面での保障ができない」。地域と学校の壁を取り除けない最大の問題はこれである。

◆…と書いたところで、件の杉並区の中学校は以前から学生アルバイトを起用した補習授業を行っていることを知った。壁はいきなりは崩せないにしても、壁の高さを少しずつ低くすることができるとすれば未来は明るい。

◆なぜこのような話に言及したかといえば、「防犯」とか「児童生徒の保護」というお題目で自らの既得権益を固守しようとする動きが一方であるからだ。そんなお題目を唱えている間に、児童生徒を性的対象とみなして接するロリータコンプレックス教師が捕まったりする。

20080118号

裁判員制度とメディアの表現

◆来年2009年からいよいよ始まる裁判員制度。
いつ、誰が、どんな事件の裁判で裁判員の「召集令状」が来るか分からないという不安、あるいは期待を持たなければならない日常、そして第三者の事件に加わらなければならない日常が間近に迫ってきた。

◆「国民の意見を司法に活かす」目的だが、実際のところ「感情論」や「判官びいき」、そして「場の空気」という日本人の良い面でもあり悪い面が裁判の場に持ち込まれてしまうのが関の山ではないか。こうしたものを排除して、「条文」、「判例」、「事実」を理性的に観察・分析・判断する訓練なしに人の一生を左右する裁判に参加していいものなのかという疑問が残る。

◆こと発生時の報道を目にして事件を知るわれわれにとって、現在テレビや新聞等が行っている報道に付随した、以下のような表現はハッキリ言って正確な判断を阻害するものである。

1.被害者の葬儀場面を放映する。
2.被害者の居住していた自宅に入り込み、部屋に飾ってある人形やおもちゃなどを執拗に放映する。
3.被疑者の居住している自宅に入り込み、散らかった部屋や壊れたクルマなどを執拗に放映する。
4.被害者や被疑者のBlogや学生時代の作文の特異な箇所だけを執拗に紹介する。
5.カメラに向かって笑っている被害者の写真、カメラを睨みつけている被疑者の写真を紹介する。
6.撮影時期が明らかに古い被害者や被疑者の写真を紹介する。
7.事件現場をおどろおどろしいBGMで紹介する。
8.事件の再現映像をCGやドラマ風にして流す。
9.キャスターやゲストコメンテーターの私情をはさんだくだらないコメント。

◆上記1.〜9.の材料でどんなストーリーが作れるか考えてみよう。おそらく考えられるストーリーに大きな差異はないだろう(下記の内容は実際の事件とは一切関係ありません)。

1.××容疑者に殺された○○さんの告別式がしめやかに営まれています。
2.○○さんは生前、この人形を大事にしていたそうです。
  →アニメのフィギュアの類は絶対に写さない
3.××容疑者はこの部屋で荒んだ毎日を送っていた。
  →なぜか「である調」
4-1.○○さんの中学時代の夢は「保育士になること」。その夢ももう叶うことはありません。
  →小中学時代の夢ほどアテにならないものはない
4-2.××容疑者の中学時代の作文。「友達とケンカした」。この頃から凶暴性を発揮していた。
  →子供の頃のケンカなど日常茶飯事だが、犯行の予兆と定義付けられてしまう
5-1.○○さんの笑顔はもう戻ってこない…
  →テロップ付き
5-2.これが××容疑者の被害者に向けた表情だったのだろうか。
  →ナレーション付き
6.〜8.(省略)
9.「××容疑者に重い刑罰が下されなければ○○さんの霊が浮かばれませんよ!」
  →橋○徹氏風に

◆こうした表現を何気なく見ているが、ここには明らかに送り手の主観が入っている。上記の表現というのは「心象風景の表現」であり、「報道」とは一線を画するものである。しかもありきたりのベタ過ぎる枯れた「心象表現」である。これらの表現は明らかに「被害者はかわいそう、被疑者は極悪」という固定観念をより強調させた形態で植え付けることを目的として施されるものだ。こうした表現を慎めというとやれ報道規制だ、表現の自由の侵害だとかメディア側は言うが、そもそもこんなものは「報道」ではないのだから文句を付ける場所がズレている。

◆メディアの読み取り能力とは言っても、大抵はこうした表現に惑わされてしまうのである。
必要な情報が全く出てこないで、どうでもいい情報ばかりが埋め尽くされて事件が作られてしまう現実。
本当に機能するのだろうか、裁判員制度。

dummy

[STIJ News] [月刊看板] [現代飲料考] [巷の風景] [My Trip]
[Stij Projectについて] [近隣諸網] [Blog] [to Toppage]
当サイト掲載の文書・画像・音声等の無断転載を禁じます。
dummy
dummy