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きょうのことば 第14集 2005下半期 The Words

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巷の風景

 ことばの使い方ひとつで、ものごとがガラリと変わる。みんなはそう言っているけど、裏を返せばこんな意味なんじゃない? キレイごとは、なし。時事世相に「忍び足、のち急襲」でせまっていきたい。
 (「きょうのことば」は、「STIJNews」のワンコーナーです。ここでは過去のバックナンバーを収録しています。)

20051211号

青年はなぜ少女を殺すのか

◆支配欲の暴走。何でも自分の思い通りになるなど大間違い。
しかし、われわれの身のまわりには「何でも自分の思い通りになる」と勘違いさせる装置が随所に存在する。

◆それはあらゆる手を使ってわれわれの財布から金銭を支出させる目的に作られた装置に過ぎないのだが、われわれはその装置によって万能感と支配欲を小出しに充足させている。

◆これらの装置の本質を知らないまま万能感と支配欲を増幅させてしまうと何が起こるか。進む道は無間地獄である。

◆一方で、最悪の暴走をしなければ自己の欲求を充たせない現実とは一体何なのか。

20051010号

いつも罪をなすりつけられる紫煙

◆下品な話で恐縮。
「出物腫れ物所嫌わず」と言うが、クルマや応接室などの密室空間にいて無用意な放屁現象を経験してしまうことがある。

◆しきりに我慢しようと肛門括約筋を収縮させてガス放出を止めるが、これにも限度がある。あたかも河川決壊を防ぐために取水堰のバルブを緩めるように、徐々に括約筋を緩めて小出しにガスを空気中に放出するしかない。

◆気をつけるべきはバルブの調節だ。空気中に放出する窒素、メタン、硫化水素、インドールなどの濃度を最小限に抑えつつ、腸内に充満されているガスを全放出しなければならない。嗅覚センサーで感知しつつ、括約筋バルブを微調整していくのである。

◆しかし、時にバルブの調節を誤り、嗅覚センサーが異常感知してしまう。
そのような時、役に立つのが一本のタバコである。
すかさずケースから一本の紙巻タバコを取り出し、点火する。点火したその瞬間から悪臭成分が分解、というよりもより強い臭気によってかき消されるのである。

◆これで同室の人の嗅覚センサーにはかなくもいやらしい硫化水素臭を感知させなくて済む。
だが、放屁し、空気中に窒素、メタン、硫化水素、インドール等を放出させたことには変わりはなく、タバコの煙に罪をなすりつけてその場しのぎを図っただけなのである。

◆さて、今ごろになって世間を賑わせているアスベスト
燃えない、劣化しない、分解しない、高い断熱効果があると建築材料から学校理科室の金網にいたるまであらゆるところで使われ、その利便性を享受してきた。

◆かつてのPCB同様、劣化しない、分解しない物質というのは、時に人間に脅威をもたらすことがある。PCBのような化学合成ではなく、自然界に存在する物質だから安全だと賞されていたアスベストは、今となっては危険極まりない、忌むべき存在になってしまった。

◆ところでアスベストの問題がクローズアップされてから禁止の動きに出るまでしばらくの時間がかかった。アスベストによって肺の腫瘍が発生すると分かるまでに、われわれはその原因と罪を他の存在になすりつけていたのである。

◆そう、密室空間における放屁の罪滅ぼしよろしく、ここでも一本のタバコに罪をなすりつけてその場しのぎを図っていたのではないか。

◆健康増進法が施行され、タバコのパッケージには大きく「脳卒中の危険」、「肺がんのおそれ」、「心筋梗塞のおそれ」、「依存が生じる」と書かれるようになった。
しかし、注意しなければならないのは、原因は一つではないということ。

◆「複合汚染」は未だ続いている。

20050913号

ウルトラ名物泥んこ選挙

◆かつて「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組があった。
後楽園球場を起点に、アメリカ各州の名所がチェックポイントに設定される。チェックポイントをたどりながらクイズに答えていき、目指すはニューヨーク。
知力、体力、時の運。これのいずれが欠けても決勝戦までたどりつくことはできない。
  「ニューヨークへ行きたいか!」
  「おお〜っ!」
  「どんなことがあってもニューヨークへ行きたいか!」
  「おお〜っ!」
  「罰ゲームは怖くないか!」
  「おお〜っ!」
秋になると思い出す名番組だった。同時多発テロで崩れ去った世界貿易センタービルが秋の青空にそびえ立っていた。

◆グァムのチェックポイントに向かうと必ず行なわれるクイズがあった。その名は「泥んこクイズ」。
ビーチの片隅に大きく「○」と「×」が描かれたボードが用意され、2択問題が出題される。問題に対し、合っていると思えば「○」の、違っていると思えば「×」のボードへ向って突進する。

◆突進して発泡スチロール製のボードを全身でかち割る。正解ならばふかふかのウレタンマットの上に着地してチェックポイント通過、不正解ならば泥まみれになった挙げ句、敗者として東京へ帰国させられる。
このクイズの面白いところは、選択肢が○であっても不正解ならば泥まみれになることである。

◆さきの衆議院総選挙。
  「郵政民営化に賛成か!」
  「おお〜っ!」
  「どんなことがあっても郵政民営化に賛成か!」
  「おお〜っ!」
  「罰ゲームは怖くないか!」
  「おお〜っ!」
解散数日前から政府とメディアが作り上げた熱狂的興奮が冷め切れぬまま投票日を迎えた。
森前総理が「寝ていてくれた方がいい」と言わしめた有権者が起きたのは別に構わない。

◆しかし、完全に目覚めていなかった。2択クイズの問題を理解していなかった。
制限時間に押されるまま、さらに「賛成=自民党」という選択肢に対する疑問を挟む余裕を与えられないまま投票用紙を突進させてしまった。

◆さて、ふかふかのウレタンマットに着地か?
それとも泥まみれか?

◆今回の「アメリカ横断ウルトラクイズ」ならぬ「アメリカ売却ウルトラ泥んこ選挙」で納得ができないのは、別の選択肢を選んだ人も同じ結果を味わうことである。

◆泥まみれになって国外脱出、という悲劇になってほしくない。

ポッドキャストMP3ネットラジオ版

20050828号

「ヲタク的政治」からの脱却

 1.同類への親和欲求
 2.記号による存在意義と優位性の消費
 3.熱狂と偏執
 4.単純二元論
 5.同化意識と異質排除
 6.人格との癒着
 7.責任無効性と責任転嫁

◆趣味系のサイトを運営して早や10年に近づこうとしている。
その間、ネット内外でさまざまな人たちやグループと接してきたが、インターネットの掲示板や趣味から発生したグループ(もしくはグループ間)におけるトラブルのほとんどが、さきに挙げたプロセスを踏んだ結果であるといえる。
このプロセスに至ると往々にしてコミュニティはまもなく分裂し、人間関係は修復不能に陥り、そして本質を見失ったまま趣味対象からの離脱を余儀なくされてしまう。

1.もともと趣味とは個々人の興味に応じて個々人が自立して楽しむものであり、そこに「誰かと群れたい、つながりたい」という親和欲求を求めると必ず衝突が起きるのである。
衝突を回避したり、あるいは衝突のショックを抑えるようなコミュニケーションをできる人間がいればグループは継続可能であるが、こうした術に対しては無知であるがゆえに一度衝突が起こると二度と修復ができなくなる。

2.個人的な思い入れを根拠に集団が形成されると、集団が形成されたことを確認するために、集団内で共通するコードが求められる。
文字、画像、ファッション…さまざまな記号によって集団の存在価値を示し、集団の優位性を示し、集団に所属する人間はそれを消費することで刹那的な精神的安堵をもたらす。

3.ところが刹那的な安堵を繰り返すことで耐性ができてくると、今度はより強い存在価値を見出すことに力を注ぐ。ここに熱狂と偏執が生じる。

4.熱狂と偏執は、ものごとの曖昧さや中間性を排し、「集団の価値に属すor属さない」という二元論ですべてを判断してしまう。

5.二元論による判断により、価値に属すものは全てが同じと見なし、価値に属さないものは全てが違うと見なす。これが同化意識と異質排除意識である。

6.共通のコード保有と偏執が個々人の人格に結びつくと、同化意識と異質排除意識はより強化される。人格がこうした傾向を求めているのか、こうした傾向が人格を変容させるのかは考える余地があるが、人格との癒着がもたらす弊害は想像以上のものがある。

7.しかし、集団内に所属する人間には当事者意識が著しく欠如している。熱狂し、偏執しているのは集団そのものであり、内部の個々人は何ら関係を持たないという責任無効性と、こうした集団を悪く見る側が悪いという責任転嫁を繰り返すことで、あくまでも個々人は純粋であり無罪であると見なす。
人格と癒着しておきながら人格とは無関係であることを装う、分裂的な状態である。

◆趣味と人格が結びついたいわゆる「ヲタク」の思考形態、行動形態は、時に強い結束力を背景にしたムーブメントを巻き起こすが、ひとたび亀裂が入ると結束のベクトルはネガティブな方向に傾き、人間同士の人格をズタズタに傷つけ合いながら二度と修復できない状態を作り出す。ヲタクのケンカは腕力よりも残酷な結果を生む。

◆さて、これと類似したシーンを政治の周辺においても見出すことができるのではないだろうか。
2000年5月以降の政治の周辺は、まさしくヲタク的と言えるのではないだろうか。

 1.大衆への親和欲求
 2.記号による存在意義と優位性の消費
 3.熱狂と偏執
 4.単純二元論
 5.同化意識と異質排除
 6.人格との癒着
 7.責任無効性と責任転嫁

◆「国民に分かりやすい言葉」の背後にはどこか屈折した執着心が垣間見える。個人的な強い思い入れと思い込みでかたち作られた、感情丸出しの言葉によって感情レベルでの親和を求めている。そこで集まる人々に熱狂と偏執を見出すことは容易である。
そして「共通のコード」を持つ存在を大歓迎で受け入れるものの、共通のコードを持つ存在は何もかも同じだという思い込みと思い違い、同じならば何をしても構わないという思い上がりで動いてしまう。
そこには異なる考えや意見を持った存在を説得するために時間を費やす考えは皆無で、異質な存在として排除することに力点を置いてしまう。
そして、肝心な部分では「私は関係ない」、「私に反発するのが悪いんでしょう」と自己の責任は徹底的に回避する。

 1.大衆との適度な距離感
 2.言葉の吟味と、言葉の意味の熟考
 3.冷静と均衡
 4.複雑さへの寛容と理解
 5.共生と自律
 6.人格とのゆるやかな結合
 7.責任を持つということ

◆500兆近い国の借金、少子化、高齢化社会、テロの危機、他国との関係、教育、安全対策、防衛対策、労働力低下…山積するこれらの問題を解決するには、バランス感覚と多様性の理解が重要ではないのか。偏執したヲタク的政治は必要のない対立を生み出し、残酷な結果を生む。

◆ヲタク的な存在が消費ターゲットと認知され、メディアでしきりに持ち上げられる中で敢えて言う。政治の世界においてはヲタク的な存在や考え方から脱却しなければならない。

20050817号

政策のデパートから政治家のディスカウントストアへ

政策のデパート

◆かつて自由民主党はこう呼ばれていたことがある。
政党は共通した政治的主義・主張を持ち、共通した行動様式を持って活動を行なう団体である。しかし、自由民主党の場合はこの「共通した政治的主義・主張」と「共通した行動様式」の範囲が非常に広かった。

◆ウルトラナショナリズム的な考えの人もいれば、社会民主主義的な考えの人もいた。たとえて言えば一つの政党の中にも与党と野党があり、幅広い考えのもとで議論を重ねて政策を作り出すプロセスがあった。

◆この範囲の広さがあったからこそ支持基盤も厚く、ゆえに「安定した政権政党」を維持できたと考えられる。

◆さて、2005年の衆議院総選挙では党首(=現内閣)の意向に反する党員を公認せず、意向に賛同する公認候補を「刺客」と題して立てる動きがメディアで盛んに報道されている。

◆たしかに「共通した政治的主義・主張」と「共通した行動様式」を持たない党員を党員として認めないことはあながち間違いではない。サークルであれ会社であれ、組織の方針と自分の考えが異なる場合は、自分の考えを組織の方針に合わせるか、自分の考えに等しい、もしくは近い組織に移るか、作り出すしかない。是非はあるがそんな風潮が一般的になっていることは確かだ。

◆終身雇用で一つの組織に長く所属できた時代が終わったように、政治家も終身まで一つの政党に所属できなくなったのだろうか。

◆さらに、かつてのデパートが食料品から娯楽まで幅広く引き受けていた時代が終わったように、「範囲の広さ」を特色にする「政策のデパート」も終わっていくのだろうか。

◆「範囲の広さ」を特色としてきた自由民主党はもう存在しない。
名前は昔から同じでも、中味は昔と大きく変わってしまった。

◆党首が出馬要請をしている候補予定者の顔ぶれを見て思うことがある。
議員の配偶者、女優、会社社長、料理研究家…おおよそ政治と関係のなさそうな面子がそろいも揃っていることだ。

◆政府の郵政法案に賛成か反対か、だけを争点にしている割には、政府案を理屈で説得できる専門家の姿を候補予定者からうかがうことが正直、できない。

◆とにかく賛成派が増やせればそれでいい、という考えのもとに集められた候補予定者は、言うなれば「安ければそれでいい」と仕入れたディスカウントストアの商品に似ている。

◆これからの自由民主党は「政策のデパート」ではなく

政治家のディスカウントストア

と化してしまうのか。ワンマン経営者の号令のもと、全国津々浦々に候補者を「圧縮陳列」し、単純なキャッチフレーズを繰り返し叫びながら「集客」し、政策の中味も「シンプルな内装」に…。
これによって安売りされるのは、候補者の「顔」と、私たちの「一票」だ。

◆私たちがディスカウントストアで買い物をするときの注意点は、「賞味期限をよく確認する」ことと、「模造品やコピー商品などニセモノをつかまされない」こと、そして、「万が一火事が起きたら、逃げ道を見失わないこと」である。

20050815号

臆病な自尊心を討て

臆病な自尊心を充たすために、歴史を使うな。

臆病な自尊心を充たすために、戦争を使うな。

臆病な自尊心を充たすために、靖国を使うな。

自分自身のちっぽけな心を癒すためにあるのではない。

20050701号

目立たないからこそ注目する

最近、いやかなり以前から、いわゆる「ごく普通の少年」が「キレ」て突如凶悪な犯行に及ぶケースがある。

事件が起きると、罪を犯した少年の学校では校長あたりが出てきてはきまってこう言う。

 おとなしい、真面目な生徒でした。
 勉強もできるし、学校生活で特に問題はなかった。

近所の住民がこう言う。

 すれ違えばあいさつもするしね…。
 どうしてあの子が、って感じですよ。

こんなコメントは聞き飽きた。これらのほとんどはマスメディア向けの「収拾をつけるための紋切型セリフ」である。
まず校長が生徒の一人ひとりを把握しているわけではなく、かりに担任教師の報告を受けてのコメントだとしても、担任教師はその生徒への関与が薄い。
事件後、必死になって生徒の指導記録を引っ張り出しても、大したことが書いていないことがよく分かる。
近所の住人のコメントも同じだ。ちょっとすれ違っただけでその少年が何を考えているなど分かるわけがない。

さらにマスメディアはこのような「紋切型コメント」を聞いて第一報を出してしまう。

 見えない犯行動機
 狂気に及んだ少年の「心の闇」

あえて言う。
ふだんはおとなしい、勉強もできるまじめな子ほど危ない。
どうも罪を犯す少年、というと、無免許でバイクを乗り回し、酒やタバコをたしなみ、身なりもどこか派手で、しょっちゅう喧嘩ばかりしている、といったイメージを描きたがる。
そんなイメージは20年前のものだ。むしろ、こうした例ならとても分かりやすいのだ。鬱憤を外に放出しているからだ。もちろん法には反することは取り締まらなければならないが、早いうちに気づくことができる。

しかし「ふだんはおとなしい、勉強もできるまじめな子」は違う。
とにかく何事もないように振る舞う。クラスメイトにも、教師にも、近所の住民にも、そして家族にも感情をストレートに出すことがない。波風立てないように、カドが立たないように日々を送っている。いわゆる「普通の生徒」だ。

ところが彼らには最大の特徴がある。それは「臆病者」であるということ。

 臆病者は、波風立てないように、誰からも嫌われないように生きている。
 臆病者は、感情をストレートに出さない。
 臆病者は、些細なことでも深刻な問題にしてしまう。
 臆病者は、限界を知らない。
 臆病者は、自分を隠す。
 臆病者は、本当は目立ちたい。相手にされたい、注目を浴びたい。
 そして臆病者は、残酷である。(ジョン=ゲイ)

罪を犯した少年が書いたWebサイトの日記がテレビなどで紹介されることがある。
きっと事件が起きなければ、これらのサイトはWebサーバの片隅に保管されていたものにちがいない。
そこに並んだ文面はとても攻撃的でかつ難解だ。しかし、自分のことばではない。
文学的な表現をしていても、これらは全て既存作品の受け売りであり、自らの思考と経験を含んで導き出されたことばではない。
難解なことばを駆使して自らの幼さを必死に隠そうとする。
内に向ってツッパっている。

内に向ってツッパっても、受け止める相手は誰もいない。ツッパったものは自分に向って跳ね返ってくる。まるでテニスの壁打ちをしているようなもので、パソコンとキーボードに向って鬱憤をぶつけている。ただ、打ちつけたボールが次第に加速度を増し、強い衝撃力で自らにぶち当たってくるように、パソコンに向けた鬱憤もまた自分に向って外へ逃げていくことは全くない。
限界を知らないから、どんなに痛くても耐えてしまう。

しかし、限界に気付くときが必ずやってくる。
そのときはじめて、壁以外の存在に鬱憤を放出する。だが、今までの外へ逃げたように見えて全く逃げていなかった鬱憤が一気に噴出するから、外へ出たときの衝撃は非常に破壊力を増したものになる。

蓄積される前に鬱憤を放出させる方法はないのか。
逆のことを仕向けてみたらどうか。
 臆病者に、波風を立たせる。少しくらい他人から嫌われる生き方をさせる。
 臆病者に、感情をストレートに出させる。
 臆病者に、些細なことを気にさせない。
 臆病者に、限界を教える。
 臆病者に、自分を表に出させる。
 臆病者に、目立たせる。相手をする、注目させる。
いかん、これでは犯行時の状況と全く変わりがない。

だからこそ、「小出しに放出させる」ことが必要だ。
小出しに放出させて、注目への糸口を見出すのだ。
目立たない存在だからこそ、注目する必要がある。

ところで、臆病者は何に対して臆病になるのか。ならざるを得ないのか。
それ以上に気になるのは、これら臆病者の鬱憤を放出させる方向がズレている点である。

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