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 1日だけの小さな旅から、数日がかりの旅まで、日記風に描く旅行記です。
今回は2003年の1月に会津・鳴子・遠野をめぐった際の記録です。

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1月26日(日)天気 宮城:晴れ 山形:晴れ 岩手:晴れ
鳴子御殿湯(10:34)→新庄・横手・北上・花巻→遠野(18:00)

奥羽山脈往復行

湯治宿の朝  そら見たことか、朝から腹痛に襲われ、明け方に手洗いへ起きると今度は妙な空腹感に襲われます。空腹に耐えながらひと眠りして起きると、次は胃が引っかかる感じを覚えます。昨日の酒の影響かと思いつつ、胃薬を飲んでみます。
 何か腹に入れなければと思い、旅館前のストアーで即席味噌汁のパックを買い、部屋備えつけのお椀でいただきます。ちょっとした自炊体験です。この旅館では朝7時半になると、行商のお婆さんが豆腐や納豆を売りにきたりします。これでは腹が膨れないと昨日のオランダせんべいの残りを何枚かかじってみますが、それでもまだ腹部に重みがかかります。思えばこれが大流行のインフルエンザにかかる前兆だったのかもしれません。

湯治宿の猫2  旅館の玄関に猫が何匹かいます。この温泉街に猫を捨てていく人がいるそうで、この旅館にも餌をもらいにくるのだとか。玄関前に荷物を置いて写真を撮っていると、ワゴン車に私の荷物が積まれていくではないか。湯治帰りのお客の荷物と同じ場所に置いたものだから、こんなことになりました。慌てて荷役中のお客に叫びます。

  「あ、これ、私のです」
  「間違っちゃったよ、ははは」
間一髪でした。

鳴子御殿湯駅前のつらら 晴れ上がった空と駅名標 陸羽東線車内にて

 鳴子御殿湯10時34分発の列車で目指すは新庄。きょうの予定は、今まで乗りそびれていた北上線を走破し、花巻に至ります。陸羽東線で奥羽山脈を一回横断し、さらに北上線でもう一回横断と1日のうちに山脈を往復する行路です。

山形新幹線と並走  列車は鳴子温泉を抜けると撮影地で有名な鳴子峡の鉄橋を渡り、山深い道を走っていきます。防雪林の根元にはうずたかく雪が積もっていますが、よく見ると動物の足跡らしきものが目に止まります。いったい何の生き物がいるのだろうか…と思いながら車窓を見つめます。やはり新型車両に変わったためか、12年前、未完の遠野紀行で陸羽東線に乗ったときよりもスムーズに山道を走っているように感じます。
 山形新幹線の広い幅の線路としばらく並行して走ると、新庄駅に到着です。

新庄駅ゆめりあ館内  1999年12月4日に山形新幹線が延伸した新庄駅は、新幹線駅にふさわしく駅舎が全面改装され、かつての趣きはすっかり消えています。駅と併設の最上広域交流センター「ゆめりあ」を列車待ちの間のぞくと、インターネット閲覧端末あり、物産店あり、ピザ店あり、そして映画館あり…人が多く集まる駅にこうしたコミュニケーションスペースがあると、とても便利なものです。
 交流広場では県立新庄工業高校の「インテリア科展」が開催しており、生徒が製作した建築模型やパース(完成予想図)などの作品を思わず観賞。なかなかの力作で、パースを眺めていると、作品から東京への憧れと郷土愛とが交錯しているように感じました。

 駅構内では地元のJAが物産展を開催しており、やはり呼び止められます。店先にはなぜかキムチが並べられ、試食を勧められます。食べてみると丸みのある辛さでなかなかおいしく、ここでご飯があればな…と思っていると、お店のおばさんがヤンバン岩海苔に包んでくれます。
 ここまでサービスしてくれると、やはり買わずにはいられなくなり、軽くて日持ちのきくヤンバン岩海苔を購入。おまけにもう一袋付け加えてくれ、得した気分になります。
 なぜ新庄でキムチなのか? と疑問を覚え調べてみると、近隣の戸沢村が韓国と交流を深め、村に嫁いできた韓国人女性からキムチ作りの技術指導を受け、これを地域の特産にしたからだとか…。この「戸沢流キムチ」は日本人受けする味に仕上がっているので、広く売り出したら結構受けるのではないかと思います。

 キムチを味わっていると列車の発車時間が。12時21分発秋田行きに慌てて飛び乗り、横手へ向かいます。車両は東北地区の普通列車に使われている701系ですが、車内にはボックスシートが並んでいます。ロングシートが不評で、部分的にボックスシートを取り付ける改造が進んでいる最中に出会った「当たり」です。このボックスシート、一昨日に水上から小出まで乗った車両と同じ形状の座席で、すわり心地は少し硬めですが、非常に座席の間隔が広く、大きな折りたたみ式テーブルまでついています。デビュー当初からこうした座席をつけておけば、地元新聞の投書で議論を巻き起こすようなことはなかったのかもしれません。

 抜けるような青空、白く輝く雪野原を列車はカラコロと軽快に走っていきます。ただ、雪のためか、路面が悪いのか、時々突き上げるような縦揺れと振れるような横揺れが襲います。さらに暖房の効き過ぎで車内が暑い。思わず汗ばんできますが、窓を開けようとするとフルに全開してしまうため、遠慮。この暑い車内が私をインフルエンザ罹患へと一歩一歩近づけていくのでありました。

横堀駅付近  1月22日、旧線の鉄橋が爆破解体された釜淵-大滝間を通り過ぎ、テレビのクイズ番組で読み方が問題として出題された及位(のぞき)を過ぎると秋田県内に入ります。近頃、「及位」に関する読み方問題が出ないのは、「のぞき部屋」が衰退したため、名前だけで笑いが取れなくなったからかもしれない…と思いながら車窓を眺めていると、沿線には
  「つばさ号の大曲延伸を
との看板が目立ちます。が、2両編成の普通列車に50人ほどの乗客しか乗っていない路線で果たして採算が取れるのかと疑問に覚えます。

横手駅構内と北上線のディーゼルカー  13時55分、横手到着。新鮮な空気を吸いに駅の外に出てみます。駅前の風景を見ながら、これまた12年前、急行「津軽」で出会った、煙草をふかしていた中学生はこの横手へ降りていったんだな…今は何をしているのだろうか…と遠くなってしまった高校生時代を思い出します。

一面真っ白の錦秋湖1  まだ乗り継ぎは進みます。北上線でふたたび奥羽山脈を横断していきます。
 北上線の車両は大船渡線で使用している車両と全く同じで、車体には「ドラゴンレール大船渡線」のステッカーが貼っています。
 14時10分発車。軽快なジョイント音を響かせながら昼下がりの山あいを走っていきます。隣のボックスでは母子が車窓を眺めながら「
カルビーじゃがりこ」をひたすらかじっています。女の子が煙草を吸う真似をして「じゃがりこかむかむ」、絵になる風景です。

一面真っ白の錦秋湖2  駅に温泉があるほっとゆだを過ぎ、列車は錦秋湖に沿っています。一面青い雪に覆われ、ここが湖なのだろうかと感じつつ、車窓をカメラに収めてみます。
 この北上線、鉄道写真の撮影地としては名高い路線なのですが、冬場ということもあり実際に乗ってみると、錦秋湖以外に特に目立った風景はなく、非常にのんびりとした車窓が広がります。車窓的に美しいのは、秋の紅葉シーズンだそうです。

 江釣子という駅名を聞いて、私が小学6年生の春、秋田に単身赴任に行った親父のクルマを回送するため、浦和から延々と東北縦貫自動車道を一緒に乗っていった時のことを思い出しました。どこにも立ち寄らず、ただひたすら6時間ばかり走って、新幹線の最寄駅に近い場所で降りたのが、北上江釣子インターチェンジでした。これが私にとって最初の東北旅行だったと回想にふけっているうち、列車は終点、北上に到着。時間は15時30分。空は明るく、まだまだ先に進めそうです。

花巻駅前の「風の鳴る林」  乗り慣れた東北本線の普通列車に揺れること10分、ようやく花巻に到着です。長い片道切符の旅も終盤を迎えました。870.9キロの道を2泊3日かけて旅してまいりました。久しぶりの普通列車乗り継ぎはやはり疲れるもので、このような旅を何度もしていた中学、高校時代はやはり若かったのだなと思うわけです。
 花巻駅前には、かつて埼玉県内を走っていた国際興業バスの車体を色を塗りかえず走る岩手県交通バスを眺めながら、今日の宿を考えます。この時間ならもうちょっと足を延ばせるな…と思うとやはり行きたくなるのが遠野

国際興業色の県交通バス  普段は遠野YHにお世話になるのですが、翌朝の交通の便を考えて、今回は駅前の宿を選ぶことに。「風の鳴る林」から激しい旋律が流れる中、多分行くと思って持参した遠野の観光案内を広げ、駅から近い民宿を選び電話をしてみます。
 「うちは民宿だけど、いい?」
という返事が返ってきましたが、「ああ、構いません」と言うと、ここで予約完了。16時23分発の釜石線宮古行き普通列車に乗り込みます。
(→花巻発車時のサウンド[RealAudio 1.5MB])

夕闇の綾織(ぶれまくり)  短いディーゼルカーを4両つないだ列車は、心地よいジョイント音を響かせて夕闇迫る釜石線を走っていきます。私の学生時代に出かけた旅では必ずといっていいほど、この路線のお世話になりました。そのためか、別に故郷がこの土地にあるわけでもないのに、なぜか「帰ってきたなぁ」と思ってしまいます。日が落ちゆく車窓を眺めながら、二度と戻らない遠ざかってしまった頃を思い出していると、なぜか目頭が熱くなります。
(→綾織〜遠野間サウンド[RealAudio 2.2MB])

遠野の夜語り

遠野駅舎(露出不足) 駅前広場のカッパ像 マフラーしてまつ。

 17時31分、遠野に降り立つとすっかり空は暗く、駅前のシンボル、マルヰ産業のシャープ広告塔だけが青白く光っています。この広告塔を見ると、遠野にやってきたことを実感します。足元に目を移すと、雪が凍ってアイスバーン状態。小出、会津、鳴子、横手と歩いてきましたが、凍った路面に出くわしたのはこの旅で初めてです。遠野は朝夕の気温差が激しく、昼間に一度融けた雪が夜になるとかちんこちんに凍ってしまうのです。

 1年数ヶ月ぶりに降りた駅の空気を味わいたく、駅前広場を歩いてみます。さすがは漫画のせりふになるくらい、駅周辺にはカッパにまつわるオブジェが並んでいます。おなじみのカッパ像4体にはマフラーが巻かれています。岩手日報記事によると、このマフラー着用までにはカッパ像の作者に問い合わせたりと数々のドラマがあったようですが、一度着けてみるとなかなかかわいいものです。ちなみにこのカッパ像の作者は、現代彫刻で名高い池田宗弘氏の作品です。

新穀町「民宿菊勇」  バスターミナルで附馬牛線坂の下行き路線バスを見送り、花巻駅で連絡した宿へ。駅から歩いて2分、新穀町にある民宿、「菊勇」です。
  「こんな寒い時期に来るのは物好きだねぇ。さあ上がってよ。」
と1階の部屋に通されるとこれがまさしく民宿。民家のひと部屋を間借りする感覚ですが、個人的にはこうした雰囲気の部屋は好きで、お茶をのみながらいっぷく。
 すると、民宿のご主人がいろいろ話しかけてきます。はじめは市内の観光名所について話してきたのですが、私が過去に何度も遠野に来ていることが分かると、次第に話題がディープになってきます。
 中でも印象的なのは、近頃の遠野についての話でした。

「10年前は結構若い人がたくさん来てね。特に女の子が多かったな。でも最近は俗化し過ぎてね、若い人やカメラマンとかあまり来なくなったね。どこの民宿も不況だよ。最近できたホテルも赤字だっていう話だけど。」
 →参考記事(2003年2月17日号)

 確かに私が1990年の春、はじめて遠野を訪れて以来、街並みは確実に変化していったように思います。この街は、名所を見に行く、というよりは、地元の人が日常生活を送っているところを半分遠慮と半分好奇心で覗きまわりながら、街の空気を感じるところに楽しさがあると思うのですが、次第に観光客を意識して、「どうぞ見てください」となってしまってから、一部の人には魅力が感じられなくなってしまったのだと考えられます。観光が収入源となってしまった現在では避けられない現実です。
 ただ、まだ俗化していない部分はところどころにあり、それを自身の嗅覚と好奇心で探していくのが私の遠野の楽しみ方です。

「うちに泊まってくれた人にいつも言うんだけどね、いつも自分の家にいるようにくつろいでください、って。…で、いろんな人を泊めているといろんなことがあってね…」

とご主人は言うと、今までにあったエピソードを語り出します。

「女性客をひとり泊めたんだよ、旅館によっては女の一人旅は泊めない所があるけど、うちは泊めるよ。で、その人の部屋の前を通りかかったら、何か聞こえるのね。何かなぁ、と不思議に思って…」

 このあとの内容は編集コードに触れるのでここでは書けません。

「まあねぇ、旅の開放感ってやつで、そういうところでやるのが気分いいんだろうねぇ」

 遠野の民話には「艶話」と呼ばれるものが数多くありますが、この話題もその一つではないかと思ったわけです。

 かれこれ1時間半くらいご主人と話したでしょうか。そろそろ夕飯をと思い、ご主人も薦める地元唯一の郷土料理店、「一力」へ足を運びます。かつてこの店でいただいた「ひっつみ」というすいとんが忘れられず、またあの味を堪能したいと来店します。
 料亭を思わせる門構えの入り口をくぐると、夜も遅いためか、客は私ひとり。すかさずビールとひっつみ、山女魚の塩焼きを頼みます。ちなみにキリンビールが2002年の秋に限定発売した「毬花」は遠野産ホップ100%使用だとか。夏ごろ、土淵の常堅寺周辺を歩いていると、ホップ畑を目にすることができます。
 ビールのグラスを片手に、ここでも話に花が咲きます。

 ・役者の役所広司氏が来店したこと
 ・作家の五木寛之氏が奥の座敷で編集者と口述インタビューをしていたこと
 ・お店の奥さんが映画「遠野物語」に出演したこと。また、映画の打ち上げを座敷で開いたこと

 ここでも「1月のシーズンオフに来る人は物好き」と言われましたが、やはり私は物好きのようで、春夏秋冬それぞれの遠野を感じたいと思うわけです。なお、今年正月の最低気温はマイナス18度だったとか。

「やっぱり9月14、15日の遠野まつりがいいね。すべての郷土芸能が見られるしね…。しし踊りとか南部囃子を演じているところはいつまでも大事に受け継いでいってほしいと思うのね。」

 94年の秋に遠野まつりに出かけたとき、雨の中、この一力前にカメラを構えて演技を撮影したときのことを思い出しました。そう、遠野まつりの本部席はこの一力前の駐車場で、本部の前で見る演技が最も美しいと思ったからです。

 さて、話しついでに2002年の秋、世間を騒がせた「電波少年・やらせカッパ騒動」について訊いてみることに。(→関連ページ)すると、

「あれはひどいねぇ」

のひとこと。

「地元の人は新聞(東京スポーツ)の中身を知らなかったの。これを知ったのは東京の知人からの電話。ねぇ、何かあんたの住んでるところ、大変なことになってるよ、なんて言うものだから、え、何があったの? って。そしたら、テレビでカッパのことやってて…」

 テレビ番組「電波少年に毛が生えた」で「遠野の市民の皆さんは許してくれました」なんて言っていたのはウソ。地元の方々は確実に不快感を覚えておりました。
 東京地裁から出版販売差止の仮処分が出た写真集、「遠野小説」といい、こういう話題で取り上げられるのは何とも哀しいものがあります。ちなみに写真集「遠野小説」は「一力」の隣にある老舗旅館「福山荘」で撮影したとのこと。

 いろいろ話し込んでいるうちに、閉店時間から1時間半も過ぎてしまい、長居しまして恐縮ですと告げて店を出ました。
 宿に帰るまで、酔い覚ましに散歩してみることに。思えば、夜の遠野を歩くのは初めてでした。凍りゆく地面をざくざく足音を立てながら歩いていると、空気まで凍ったような感覚を覚えます。静まり返った一日市通り、黄色点滅の信号機、ライトアップされた駅舎、そして駅前唯一の繁華街、親不孝通りのスナックから漏れるカラオケの歌声…ふけ行く日曜日の夜を感じました。

 宿に戻りひと風呂浴びて床につくと、どこからかいびきが聞こえます。隣の部屋でご主人が寝ていました。寝首を襲われはしないかと心配になりますが、大丈夫でした。個人的にはこうした雰囲気、好きですが…。


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