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夏の終り、青森に−1991 [その5]
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これは、1991年の8月21日から、弘前・青森・八戸を旅した記録の続編である。旅の4日目、八戸で感じたものは…。

5・旅人との昼下がり
〜八戸駅前点描〜

蕪島のウミネコ 昨日、YHで知り合ったM大学で地理学を学ぶIさんに「明日、一緒に行きませんか」と誘われ「八戸の方なんてどうでしょう」と提案。考える間もなく八戸行きを決定する。

 朝食後、YHの玄関先で記念撮影。サブペアレントのTさんは何台ものカメラを持っている。代わる代わるシャッターを押すのを依頼されたからだ。出かけるとき、車で来たという薬剤師の方が「八戸まで行ってもいいよ」と言うが「切符持っていますから途中の向山まで行って下さい」と頼んで乗せてもらう。電動ウインドウの車に乗せてもらい、向山駅へ。

 駅では薬剤師さんと後から来た二人のライダーに見送られる。もう一人、埼玉の桶川まで帰るというDさんという女性を含めて三人で、八戸行きのディーゼルカーに乗り込む。窓を開けて見送ってくれた方々に手を振って別れを告げる。こういう時には冷房車でない方がいい。心置きなく窓が全開できる。

 唸っていたエンジンが止まってカタンコトンと軽快に平地を駆け抜ける。ディーゼルカーというものはエンジンが止まれば電車より静かである。車内では、Iさん、Dさん、そして私と手帳を回しあって住所とコメントを書く。「今日、北海道に渡るから、着いたら絵はがき出すよ。何処にする?」とIさんが住所を書き込みながら言う。「稚内なんていいかも」「礼文島なんかどう?」とさまざまな提案が出たが、最終的には礼文島で返事を送っていただくことになった。

 八戸に着いたが、向かいのホームから発車する満員の鮫行きに乗り遅れ、待ち時間の間、途中下車して楽しむ。急に生理現象を催し、昨日の新聞にあった臭いといわれるトイレに入ることができた。が、昨日の投書の後あわてて掃除したかもしれず、臭さも汚さもなかった。しかし、トイレの前に土産物のワゴンを広げるのはやめて欲しい。購買意欲がなくなる。

 今日も『デーリー東北』を買う。ソ連の共産党が崩壊したという。ついに民主化されるのであろうか。社会面を見ると、重要文化財になっている八戸城の壁にペンキでイタズラ書きが加えられたという記事が掲載されていた。まったくひどいことをする。早いところ、捕まえて取り調べてもらいたい。そして、この落書きを直ちに消してもらいたい。この記事を見て少しの怒りを覚えた。

 駅前をぶらりと歩き始める。それにしても、26万都市の八戸にしてはがらんどうとしている。
「ここら辺の人は八戸は東京と同じなんだって。でも、これが『東京』なんて…」
 Dさんが期待外れな町を見ながら言った。駅前は小さな食料品店と雑貨屋、食堂くらいしかない。本当に八戸なのか、と思ってしまう。この風景は昨日の十和田市に似ている。あとで調べてみると、東北本線の『八戸』は昔『尻内』と呼んでいて、かなり以前に駅名を改称したという。市街地と相当離れている所に東北線の駅があるのだ。市街地の最寄り駅は八戸線の本八戸という。

 ここでも住民しか通らないような道を歩く。きれいなコスモスが角地に咲いていて秋の訪れを感じるがまだ暑い。線路にぶつかれば街角を一周した気分になる。八戸駅に戻り、みどりの窓口で列車を待つ。構内で唯一冷房が効いている場所なので、待つのにはいい。

 八戸線の鮫まで行くが、「青森・十和田ミニ周遊券」では区間から外れるため、220円を自動券売機に飲み込ませる。久し振りに裏が白い切符を見た。
 Dさんはこれから普通列車を乗り継いで埼玉に帰るという。『青春18きっぷ』を持っているからだ。途中、どこかで一泊する様なことを言っていた。今の時間では埼玉に着くのが夜中になってしまう。「またどこかで会おうね、絵はがき待ってるから」と言いながら赤い客車にDさんが乗り込むのを見て、私たちは八戸線のりばの階段を昇る。Iさんが何か言い残した様な、残念そうな顔をしていたのが今でも印象に残る(*6)

〜ウミネコの餌〜

鮫の海水浴場 発車3分前に乗ったオレンジのディーゼルカーは地元の中高生らで通路にまで立ち席が出ていた。考えてみれば今日は日曜日だった。旅に出るとどうも私のカレンダーが狂う。車内ではディーゼルエンジン音に負けないくらい、中高生が喋り声が響く。服装も東京とさして変わらないが、髪型が角刈り、リーゼントと十年前のスタイル。顔つきももう働いているのでは、と間違えるようなごつさがある。都会のようになよなよしていない。硬派なのかもしれない。

 本八戸から外を見たら、やはりここが市の中心部というにふさわしいビルやデパートやホテルが立ち並ぶ。駅に『本』が付いているだけでこれほど違うのか。
 車窓から綺麗な海を望んで駅に到着。ここで満員の中高生が降りるのかと思ったら、降りたのは私たちとオバチャンだけ。ひとつ先の臨時駅『プレイピア白浜』で降りるのだろう。プレイピア白浜は海に面した娯楽施設。言うなれば八戸のディズニーランド。かなり違うように思うが…。

 鮫という、すごい名前の駅で降り立ったIさんと私。さて、ここからウミネコ繁殖地日本一の蕪島(かぶしま)まで歩いていこうと思う。踏切を渡ると、『踏切不停止ハイ二点』という交通看板があって、Iさんが「妙に笑える。ハイ二点なんて言うところが」と笑いながら言ったのをきっかけに交通標識や標語についての論議をする(*7)

 「恐山に行く道でこんなのがあった。『スピード出し過ぎ恐山行き』、別に恐山に行くんだからいいじゃないと思う人もいるかも知れないね」この『恐山行き』の意味、言わなくてもお分りいただけるかと思う。「それから大阪で『スピード違反やれるものならやってみろ』という交通機動隊の標語があった」…など次々に出てくる。
その中でも私が笑えた『名作』はこれ。『交通安全〜おみやげは これだけでいいの お父さん〜』この標語、読み方によっては変に取れる。『これだけでいいの』の部分のアクセントを変えて読めばお分かりいただけるかと思う。

 そんな話をしながら歩いていると、遠くにとてつもなく大きなテトラポッドを望み、さらに先に進むと『ギャーギャー』というウミネコの鳴き声が聞こえてくる。防波堤に付いている階段を上がると一面に広がる青い海と空。ここが蕪島海水浴場である。海水浴場といっても海の家なんてシャレたものはなく、ゴム草履を売っている店一軒だけ。泳いでいる人も地元の子供だけ。日曜日、最後の夏を送っているように見える。

 さて、ここに来るのだったら、水着でも持ってくればよかったと後悔する。夏場、海岸を旅するときは海パンを持くべきだ。ジーンズをまくりあげて海に浸かりたい所だが、ジーンズがスリムでまくり幅が狭い。Iさんは半ズボンに履きかえて海に。遠浅のきれいな海に久し振りに来たようだ。私の後ろを茶色い雑種犬が通り、撫でてやると気持ち良さそうな仕草をした。

 海を後にし、蕪島へ向かう。『犬猫持ち込み禁止』と書かれた札を見ながら階段を上がるとここが国の天然記念物に指定されている蕪島。今は陸続きになっているが、昔は離れ島だったこの島には約3万羽のウミネコが生息する。冬は暖かい方へ行ってしまうが、2月頃には帰ってきて産卵し孵化する。孵化率は高いが幼鳥になる率は30%と低いという。

 鮫駅でもらったJRの『旅もよう』というパンフレット(*8)を見ながらこの島の展望を楽しむ。盛りのついた猫のような鳴き声をするのもいればニャオと鳴くウミネコもいる。人に慣れていて、脅かさないかぎり逃げることはない。運が良ければ触ることができる。この島には厳島神社という、どこかで聞いたことのあるような名前の神社があるが、境内を通り水飲み場を借りただけで通り越す。

 売店に『ウミネコのえさ』の文字が見える。よく陸中海岸の遊覧船を紹介するテレビ番組で見るような、海草入りの『ウミネコパン』のようなものかと思った。ところが、売店を見ると『えさ』と書いてあるカゴに入っているものは何とカルビーサッポロポテト・ベジタブル。細長くて食べるとしょっぱいあのスナックである。しかし、こういう塩辛い菓子をウミネコにあげて影響がないのだろうかと思う。他の人があげているのを見たら、つっ突いて食べること食べること。蕪島のウミネコはサッポロポテトが好物らしい。

〜忘れ得ぬ味〜

エラコのサヤを剥く 海岸を歩いていると、お爺さんとお婆さんが何かむしってポリバケツに放り込んでいる。「何でしょう、行ってみましょう」とIさんを誘って二人の老人の方へ向かう。

 「こりゃイラコっていう虫だ。これで何でも釣れる」とお爺さんが言う。
 イラコと言う名前をはじめて聞く。ミミズを太くして先に黒い頭をつけた、少し気味が悪い生き物だ。「ケヤリムシ」の仲間で正しくは「エラコ」というらしい。海岸で採れ、一匹ずつ細長い殻(むしろ「さや」)の中に入っている。これが100個くらいまとまっている。そして、その殻の先端をむしるとピンクのエラコが出て、押し出すときれいにヌルッと出てくる。私も一本取ってやってみる。上手い具合にヌルッと出なく、途中で切れてしまった。

 そのあとお爺さんがこれまた恐れたことを言う。「この黒い頭を取れば食べられる」と言うと、殻から出したエラコの頭を取って口に放り込んだ。私は気持ち悪いなんて言えないくらいぞっとした。
「これ、このピンク色がうまいんだ」
 要するに私たちに食べてみろ、お爺さんはそう私たちに言う。ここで好奇心を出さなければ青森まできた甲斐がない、と自分をなだめすかしつつ、殻を取って例のヌルッとした生き物を出してみた。ピンク色の『(爺さんが言うところの)うまい』エラコがモゾモゾ動いている。「どんな味しますか?」私は聞いてみた。「サザエのワタみたな味だ」そんなこと言われたって、サザエの腹ワタなんて食べたことない。

 おそるおそる口に運んで…と思うとまた元に戻し、また口に運ぶ。みやげ話のタネに食べてみよう、ここで食わなかったら後悔するし、男ではない(?)、とこの場に及んで性を主張する。さあ、一口放り込んでみる。

 そぉっと口中のエラコに歯を近づけ噛んでみる。舌の奥にエラコのエキスがしみてくる。口にほろ苦さとわずかな甘味が漂う。「食べられないことはないですね」私が発した言葉である。「醤油につければおいしいかも」Iさんは言葉を考えたようだった。でもこれは慣れれば美味いかも知れない。ワサビ醤油でいただくのもオツな味がしそう。「オレの小さい頃はこんなのしかなかったから、いつもむしって食べてた」とお爺さんが得意気に話す。ちなみに食べられるのはとれたてのエラコだけ。釣り具屋でひと固まり300円と結構高く売れる時には食べられない。食べたいと思う方は蕪島海水浴場の老夫婦まで行っていただきたい。しかしこの日は波が高かったので操業できないと浜辺にいたが、いつもは漁をしているという。

 口直しというわけではないが、このエラコを食べたあと、お婆さんからオレンジをいただいた。オレンジの皮を手持ちのナイフで切ろうとしたら、「いやいや、こういうのは手で剥いた方がうまいの。町のモノはうまいものもまずくしちゃうからな」と言われてしまった。これはオレンジの他にも言える。取ったばかりの物をそのままかぶりつく。下手に手をつけない、これが漁師が町のモノに対して言いたかったことかも知れない。

 潮風に吹かれ、真っ青な海と空の下で食べるオレンジがなんて美味しかったことか。潮風の香りとオレンジの甘酸っぱさが程よく合わさって絶妙な味を出したのかと思うが。
 私たちとともに、オレンジをほおばる二人に微笑んだあの老夫婦の顔を忘れることはできない。(*9)

−脚注−
何か言い残した様な、残念そうな顔
 こういう旅ができるのは、10代〜20代前半だとつくづく思う。
 駅までの道を 青い林檎をかじった やけに酸っぱい味が 今でも心にしみている-(あんべ光俊「遠野物語」の一節より)

交通標識についての論議をする: これが、その後開設される「月刊 看板」の基礎資料になったのは言うまでもない。

旅もよう: 1990年代の前半、JR東日本が管内主要駅に設置したパンフレット。駅舎のスケッチ、駅の沿革、名所・旧跡案内など、旅行者には嬉しい資料であった。近頃は「小さな旅」というパンフレットが配布されているが、モデルコースや列車時刻が提示されているため、自分でプランニングをする楽しみが半減する。

老夫婦: かれこれ10年経つが、ご健在なのだろうか。

●おことわり
 1996年の初版公開時では、旅先で知り合い、一緒に町を歩いた方々のお名前を掲載しておりましたが、近年のインターネット上でのモラル、プライバシーの保護を鑑み、今回の改版では氏名の掲載は控え、代わりにイニシャルによる記載をしております。


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