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 今だから、活きる。〜教育基本法〜

2000年7月29日

 教育基本法改正の議論が出てきました。どうも条文に問題があるというらしいのです。しかし、

「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われる」

のどこに問題があるというのか、筆者にはさっぱりわかりません。
 むしろ、教育基本法の理念から大きく逸脱した55年体制以後の、自民党、経済団体主導の教育施策に問題があったといえるのではないでしょうか。

 55年体制以後の教育を思いきり簡単に述べればこんな感じです。「ネジを100本作って、1本も失敗しないで作れるヒトを養成する」。すなわちこれ、ベルトコンベアーの一部とたりえるヒトを作るということです。指示されたことを忠実に遵守し、何一つ異議を発することなく遂行して、大量に知識を吸収して、たくさんモノを作りましょう、そうすれば日本は貧乏から脱出できますよ、という題目が存在していたわけです。

 だから、国語、算数、理科、社会、そして英語。どれも暗記。思考力を養う数学や国語さえも、公式の暗記と解法の暗記で全面突破をはかるわけです。あたかも「考えている時間はムダ」といわんばかりに…。

 さらにこの制度は、ベビーブームで増加する高等教育希望者の選抜にも恩恵をもたらせました。思考力や表現能力を試す問題は採点がしづらく、大量の受験者をさばくことができません。「覚えていれば解けるし、誰からも正解が明確である」選択式の客観テストやマークシート採点法、そして偏差値の採用…。まさしく「選別の効率化」です。これで儲けたのが言うまでもなく塾や予備校です。

 これらの制度で教育された人たちは、確かに日本経済の成長を促すために大きな役割を果たすことができましたが、その反面、従順すぎる人間を作りすぎてしまったともいえます。

 「尊師」の命令ならば毒ガスを平気で地下鉄車内に撒き散らす、「上司」の命令ならば粉飾決済もする。客観式テストや偏差値評価の乱用は、あらゆるものごとを数値化して、その数字が高いか低いかでしか価値を見出せない人間を多く作り出してしまったようにも思えます。加えて、「客観」が過ぎて自分の意見をはっきりと言えない、いや、言うと排除(=いじめ・差別)されるような空気を、ただでさえも同調性の強い日本に輪をかけて充満させてしまったようにも思えます。

 このように、いまだ教育基本法の掲げる目的が達成できないというのに、改正するとはいかがなものでしょうか。改正するなら、それらの理念なり目的が達成されたかを判断した上で「次の目標」を作るべきです。「条文が日本語文法的におかしい」などと枝葉末節的発想で改正論を唱えられては困まります。日本語文法的に正しくても、理念がしっかりしていない法律に変えようとしている輩がいることは非常に残念でなりません。これに似た論理で日本国憲法まで変えようとしているのには正直、あきれます。

 改正すべきは教育基本法ではありません。学習指導要領とその運用方法です。明治後半以来から続くその「即醸脳味噌」大量生産的教育プログラムこそ変えるべきなのです。

 もっとも、暗記中心だったのは戦後教育だけではありません。戦前もしかりです。「富国強兵」政策のもと、ここでも「即醸脳味噌」の生産が行われていました。ヨーロッパに追いつけ追い越せ、カネのある国家を作って、兵力を高めて周辺諸国を手っ取り早く手中に収めるには、とにかく西欧の知識を有無も言わせず頭に叩き込む必要があったのです。

 しかも、まだまだ貧乏な国だったため、教えられた内容を「記録」するメディアが非常に高価なこともあり、記録ではなく「記憶」せざるをえない状況であったことも暗記中心の教育体制と深く関わっています。ノートの代わりに「石盤」という、黒板のミニチュアのような板にろう石で書いては消し、書いては消しをやっていたわけです。これでは次々と教えられる内容を記録する暇もなければ、するスペースもありません。ひたすら覚えなければ学習できなかったし、覚えることが学習の要点でした。まさに昔の事務機器メーカーの広告コピー、「記憶はきえる、記録はのこる」を思い出します。
 近代日本の教育制度は、やはりその国の経済状態と密接に関わっていることが分かります。

 けれども、今は違います。田村正和の「iモード」のCMではないですが、レシピを「iモード」で取り寄せられる時代です。もはや「覚える」ことはレシピではなく、「iモードでレシピ情報を取り出す操作手順」なのです。それだけではありません。「レシピ情報を使って、いかに自分流にアレンジして新たなものを作るか」が求められているのです。現在、企業では「調査力」、「思考力」、「発想力」、「企画力」、そして「表現力」のある人材が求められていますが、これらはかつての教育がおろそかにしてきたものばかりですし、「即醸脳味噌」大量生産的教育では身につかないものばかりです。

 教育基本法の理念は今こそ活かされるものです。教育改革国民会議が、マスコミ報道が「改正派多数」と言ってもそれに同調せず、いま一度、条文を読んでみたらいかがでしょうか。戦後教育のどこが、どこでおかしくなったかを考える機会です。


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僭越ながら憲法を考える・序

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