STIJ Project Logo -
-
- STIJ News 現代飲料考 月刊 看板
巷の風景 My Trip私の旅 STIJ Projectについて 近隣諸網
トップページへ 現代風景研究会のBlogへ -
  関連ページ
STIJ News
イチ押し ダメ出し目次
きょうのことば
巷の風景

最近のイチ押し ダメ出し 1042

 僭越ながら憲法を考える・序

2000年2月27日

 ついに憲法調査会が衆・参両議院で発足しました。これは日本国憲法の公布からまもなく55年目に入り、憲法が現状にそぐわない部分が出てきたため、ということから、改正を前提にした議論をしていくために設置されたものです。

 個人的にはこのような議論は大いにやってもらいたいと思いますし、国会議員でなくとも、私たちひとりひとりが憲法について、どの点が評価できるか、どの点が問題なのか、そして問題点があればどのようにして変えていけばいいのかを考えていくべきだと思います。「法」が水や空気のように当たり前に存在するものでないことは知っておきたいものです。

 しかし、調査会に関する記事を読んでいると、やはり「未だにこんな論点でモノを語っている議員がいるのか」と思うようなくだりに遭遇することがあります。そしてそのほとんどは、「21世紀に持って行きたくない政党」、自民党の議員から出されていることに気づきます。

 「日本国憲法はアメリカから押し付けられた」、「日本の伝統と誇りを重んじるような憲法にしなくてはならない」…この意見、自民党発足時の1950年代から全く変わっていません。保守政党とはいっても、ここまで進歩のみられない政党が、インターネット時代の日本に存在していることが不思議です。

 押し付けられた、押し付けられたと言いつつ50年が経ち、今までに改正できなかったのは「社会党や共産党や日教組なんかの左翼(彼らは未だに右左でモノを判断する)が強かったからだ」といい訳をして40年が経ちました。結局、自らの政党に憲法を変えようとする議論が積極的に出なかったこと、出たとしても帝政ドイツ憲法を参考にして作った「大日本帝国憲法(明治憲法)」の域を脱していない意見に対して誰も振り向かなかったことへの検討がないまま、他の政党や団体に責任転嫁していたわけです。

 だから「伝統と誇り」などと言ってもことばだけが空回りしてしまうわけです。自らに「伝統と誇り」があるのならば、少しは国民と国家の益を考えた政治をしようと考えるはずです。明治時代の、ある意味で日本史上特殊な時期だけを取り上げて「あの頃は良かった」と言っても、ノスタルジー以外に得るものはありません。そこまで日本の伝統や誇りにこだわるのであれば、江戸時代、いや、室町、平安、奈良…縄文時代の政治、文化まで溯ってみてはどうかと思います。ポスト・モダンのあり方を考えるヒントが意外なところに見つかるのではないでしょうか。自らの都合のいいところだけを取ってそれを「伝統」と言うべきではありません。

 さらに、これらの意見を持つ憲法改正派はこう言います。「こんな憲法があるから、最近の少年事件やオウム真理教の事件に見られる、モラルの低下や凶悪犯罪が起こるんだ。だから改正すべきだ」と。これも当たっているようで、ちっともかすっていない意見ではないでしょうか。このような議論は個人のモラルのレベルで語られるものであり、憲法の条文を書き換えれば解決できる問題ではありません。むしろ、家庭や学校の教育部分で議論すべきものです。改正派が好きな明治憲法の時代でもモラルの低下や凶悪事件は起きています。親殺し、子殺し、誘拐…柳田国男の「遠野物語」を読めばいくらでも出てくる話です。憲法を改正したからといって、人の心がガラリと改正できるわけではありませんし、現憲法のどこを読んでも「自由と権利ばかり主張していれば何をやっても構わない」という意味も含まれてはいないはずです。

 どうも、「自らの政治がうまくいかないから、憲法を変えてしまえばいいや」という感じに思えてしまいます。しかし、そのような意識で変えても、今までよりも政治がうまくいくことはありません。それは「1日10時間勉強する」と画用紙にマジックで書いたまではいいけれども、結局達成しないまま「1日1時間勉強する」と書き換える中学生に似たものがあります。目標があまりにも自らの次元よりも高い場所にあるため、それに追いつけないことを知るや、途端に「この目標は現状にそぐわない」、「やはり自ら考えた目標にすべきだ」と次元を下げていくのは、自らの次元をも下げていくようにも思えます。これでは、幕末から明治初期にかけて、自らの国を建て直すために西欧各地に出向き、政治、社会制度を学んでいった志士に及ぶべくもありません。

 憲法問題は過去へのベクトルではなく、未来へのベクトルで考えていく必要があります。最も気をつけなければならないのは、あと10〜20年前後でこの世を去るような人たちが、自分の主義、主張を通すためだけに展開される議論です。当然ながら自分の世は終わっても、他人の世は続いているわけです。

 次の世代の人間が「この国に生まれてよかった」、「生きていてよかった」と思えるような国、社会をつくっていくために必要な目標は何でしょうか。これから機会あるごとにこのコーナーで取り上げていきたいと考えております。

dummy

[STIJ News] [月刊看板] [現代飲料考] [巷の風景] [My Trip]
[Stij Projectについて] [近隣諸網] [Blog] [to Toppage]
当サイト掲載の文書・画像・音声等の無断転載を禁じます。
dummy
dummy