My Trip/ 冬の東北ローカル線紀行-3 / 03.02開設 | |||||||||||||||||||
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1日だけの小さな旅から、数日がかりの旅まで、日記風に描く旅行記です。 1月26日(日)天気 宮城:晴れ 山形:晴れ 岩手:晴れ
鳴子御殿湯(10:34)→新庄・横手・北上・花巻→遠野(18:00) 奥羽山脈往復行
そら見たことか、朝から腹痛に襲われ、明け方に手洗いへ起きると今度は妙な空腹感に襲われます。空腹に耐えながらひと眠りして起きると、次は胃が引っかかる感じを覚えます。昨日の酒の影響かと思いつつ、胃薬を飲んでみます。
旅館の玄関に猫が何匹かいます。この温泉街に猫を捨てていく人がいるそうで、この旅館にも餌をもらいにくるのだとか。玄関前に荷物を置いて写真を撮っていると、ワゴン車に私の荷物が積まれていくではないか。湯治帰りのお客の荷物と同じ場所に置いたものだから、こんなことになりました。慌てて荷役中のお客に叫びます。 鳴子御殿湯10時34分発の列車で目指すは新庄。きょうの予定は、今まで乗りそびれていた北上線を走破し、花巻に至ります。陸羽東線で奥羽山脈を一回横断し、さらに北上線でもう一回横断と1日のうちに山脈を往復する行路です。
列車は鳴子温泉を抜けると撮影地で有名な鳴子峡の鉄橋を渡り、山深い道を走っていきます。防雪林の根元にはうずたかく雪が積もっていますが、よく見ると動物の足跡らしきものが目に止まります。いったい何の生き物がいるのだろうか…と思いながら車窓を見つめます。やはり新型車両に変わったためか、12年前、未完の遠野紀行で陸羽東線に乗ったときよりもスムーズに山道を走っているように感じます。
1999年12月4日に山形新幹線が延伸した新庄駅は、新幹線駅にふさわしく駅舎が全面改装され、かつての趣きはすっかり消えています。駅と併設の最上広域交流センター「ゆめりあ」を列車待ちの間のぞくと、インターネット閲覧端末あり、物産店あり、ピザ店あり、そして映画館あり…人が多く集まる駅にこうしたコミュニケーションスペースがあると、とても便利なものです。
駅構内では地元のJAが物産展を開催しており、やはり呼び止められます。店先にはなぜかキムチが並べられ、試食を勧められます。食べてみると丸みのある辛さでなかなかおいしく、ここでご飯があればな…と思っていると、お店のおばさんがヤンバン岩海苔に包んでくれます。 キムチを味わっていると列車の発車時間が。12時21分発秋田行きに慌てて飛び乗り、横手へ向かいます。車両は東北地区の普通列車に使われている701系ですが、車内にはボックスシートが並んでいます。ロングシートが不評で、部分的にボックスシートを取り付ける改造が進んでいる最中に出会った「当たり」です。このボックスシート、一昨日に水上から小出まで乗った車両と同じ形状の座席で、すわり心地は少し硬めですが、非常に座席の間隔が広く、大きな折りたたみ式テーブルまでついています。デビュー当初からこうした座席をつけておけば、地元新聞の投書で議論を巻き起こすようなことはなかったのかもしれません。 抜けるような青空、白く輝く雪野原を列車はカラコロと軽快に走っていきます。ただ、雪のためか、路面が悪いのか、時々突き上げるような縦揺れと振れるような横揺れが襲います。さらに暖房の効き過ぎで車内が暑い。思わず汗ばんできますが、窓を開けようとするとフルに全開してしまうため、遠慮。この暑い車内が私をインフルエンザ罹患へと一歩一歩近づけていくのでありました。
1月22日、旧線の鉄橋が爆破解体された釜淵-大滝間を通り過ぎ、テレビのクイズ番組で読み方が問題として出題された及位(のぞき)を過ぎると秋田県内に入ります。近頃、「及位」に関する読み方問題が出ないのは、「のぞき部屋」が衰退したため、名前だけで笑いが取れなくなったからかもしれない…と思いながら車窓を眺めていると、沿線には 13時55分、横手到着。新鮮な空気を吸いに駅の外に出てみます。駅前の風景を見ながら、これまた12年前、急行「津軽」で出会った、煙草をふかしていた中学生はこの横手へ降りていったんだな…今は何をしているのだろうか…と遠くなってしまった高校生時代を思い出します。
まだ乗り継ぎは進みます。北上線でふたたび奥羽山脈を横断していきます。
駅に温泉があるほっとゆだを過ぎ、列車は錦秋湖に沿っています。一面青い雪に覆われ、ここが湖なのだろうかと感じつつ、車窓をカメラに収めてみます。 江釣子という駅名を聞いて、私が小学6年生の春、秋田に単身赴任に行った親父のクルマを回送するため、浦和から延々と東北縦貫自動車道を一緒に乗っていった時のことを思い出しました。どこにも立ち寄らず、ただひたすら6時間ばかり走って、新幹線の最寄駅に近い場所で降りたのが、北上江釣子インターチェンジでした。これが私にとって最初の東北旅行だったと回想にふけっているうち、列車は終点、北上に到着。時間は15時30分。空は明るく、まだまだ先に進めそうです。
乗り慣れた東北本線の普通列車に揺れること10分、ようやく花巻に到着です。長い片道切符の旅も終盤を迎えました。870.9キロの道を2泊3日かけて旅してまいりました。久しぶりの普通列車乗り継ぎはやはり疲れるもので、このような旅を何度もしていた中学、高校時代はやはり若かったのだなと思うわけです。
普段は遠野YHにお世話になるのですが、翌朝の交通の便を考えて、今回は駅前の宿を選ぶことに。「風の鳴る林」から激しい旋律が流れる中、多分行くと思って持参した遠野の観光案内を広げ、駅から近い民宿を選び電話をしてみます。
短いディーゼルカーを4両つないだ列車は、心地よいジョイント音を響かせて夕闇迫る釜石線を走っていきます。私の学生時代に出かけた旅では必ずといっていいほど、この路線のお世話になりました。そのためか、別に故郷がこの土地にあるわけでもないのに、なぜか「帰ってきたなぁ」と思ってしまいます。日が落ちゆく車窓を眺めながら、二度と戻らない遠ざかってしまった頃を思い出していると、なぜか目頭が熱くなります。 遠野の夜語り 17時31分、遠野に降り立つとすっかり空は暗く、駅前のシンボル、マルヰ産業のシャープ広告塔だけが青白く光っています。この広告塔を見ると、遠野にやってきたことを実感します。足元に目を移すと、雪が凍ってアイスバーン状態。小出、会津、鳴子、横手と歩いてきましたが、凍った路面に出くわしたのはこの旅で初めてです。遠野は朝夕の気温差が激しく、昼間に一度融けた雪が夜になるとかちんこちんに凍ってしまうのです。 1年数ヶ月ぶりに降りた駅の空気を味わいたく、駅前広場を歩いてみます。さすがは漫画のせりふになるくらい、駅周辺にはカッパにまつわるオブジェが並んでいます。おなじみのカッパ像4体にはマフラーが巻かれています。岩手日報の記事によると、このマフラー着用までにはカッパ像の作者に問い合わせたりと数々のドラマがあったようですが、一度着けてみるとなかなかかわいいものです。ちなみにこのカッパ像の作者は、現代彫刻で名高い池田宗弘氏の作品です。
バスターミナルで附馬牛線坂の下行き路線バスを見送り、花巻駅で連絡した宿へ。駅から歩いて2分、新穀町にある民宿、「菊勇」です。
「10年前は結構若い人がたくさん来てね。特に女の子が多かったな。でも最近は俗化し過ぎてね、若い人やカメラマンとかあまり来なくなったね。どこの民宿も不況だよ。最近できたホテルも赤字だっていう話だけど。」
確かに私が1990年の春、はじめて遠野を訪れて以来、街並みは確実に変化していったように思います。この街は、名所を見に行く、というよりは、地元の人が日常生活を送っているところを半分遠慮と半分好奇心で覗きまわりながら、街の空気を感じるところに楽しさがあると思うのですが、次第に観光客を意識して、「どうぞ見てください」となってしまってから、一部の人には魅力が感じられなくなってしまったのだと考えられます。観光が収入源となってしまった現在では避けられない現実です。 「うちに泊まってくれた人にいつも言うんだけどね、いつも自分の家にいるようにくつろいでください、って。…で、いろんな人を泊めているといろんなことがあってね…」 とご主人は言うと、今までにあったエピソードを語り出します。 「女性客をひとり泊めたんだよ、旅館によっては女の一人旅は泊めない所があるけど、うちは泊めるよ。で、その人の部屋の前を通りかかったら、何か聞こえるのね。何かなぁ、と不思議に思って…」 このあとの内容は編集コードに触れるのでここでは書けません。 「まあねぇ、旅の開放感ってやつで、そういうところでやるのが気分いいんだろうねぇ」 遠野の民話には「艶話」と呼ばれるものが数多くありますが、この話題もその一つではないかと思ったわけです。
かれこれ1時間半くらいご主人と話したでしょうか。そろそろ夕飯をと思い、ご主人も薦める地元唯一の郷土料理店、「一力」へ足を運びます。かつてこの店でいただいた「ひっつみ」というすいとんが忘れられず、またあの味を堪能したいと来店します。
・役者の役所広司氏が来店したこと ここでも「1月のシーズンオフに来る人は物好き」と言われましたが、やはり私は物好きのようで、春夏秋冬それぞれの遠野を感じたいと思うわけです。なお、今年正月の最低気温はマイナス18度だったとか。 「やっぱり9月14、15日の遠野まつりがいいね。すべての郷土芸能が見られるしね…。しし踊りとか南部囃子を演じているところはいつまでも大事に受け継いでいってほしいと思うのね。」 94年の秋に遠野まつりに出かけたとき、雨の中、この一力前にカメラを構えて演技を撮影したときのことを思い出しました。そう、遠野まつりの本部席はこの一力前の駐車場で、本部の前で見る演技が最も美しいと思ったからです。 さて、話しついでに2002年の秋、世間を騒がせた「電波少年・やらせカッパ騒動」について訊いてみることに。(→関連ページ)すると、 「あれはひどいねぇ」 のひとこと。 「地元の人は新聞(東京スポーツ)の中身を知らなかったの。これを知ったのは東京の知人からの電話。ねぇ、何かあんたの住んでるところ、大変なことになってるよ、なんて言うものだから、え、何があったの? って。そしたら、テレビでカッパのことやってて…」
テレビ番組「電波少年に毛が生えた」で「遠野の市民の皆さんは許してくれました」なんて言っていたのはウソ。地元の方々は確実に不快感を覚えておりました。
いろいろ話し込んでいるうちに、閉店時間から1時間半も過ぎてしまい、長居しまして恐縮ですと告げて店を出ました。 宿に戻りひと風呂浴びて床につくと、どこからかいびきが聞こえます。隣の部屋でご主人が寝ていました。寝首を襲われはしないかと心配になりますが、大丈夫でした。個人的にはこうした雰囲気、好きですが…。
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