八月二一日の夜、早めに夕食を済ませ、最後の荷物の点検をする。
途中、近くのコンビニエンスストアに寄って、明日の朝に腹が空いて気分が悪くなるのは嫌なので食料を買い込んでおく。グリコのプリッツは結構役に立つことがある。
なじみの水色の京浜東北線電車に乗り込み、重い荷物をドアのそばに置いてフーッと息をついた。時間は八時になろうとしている。通勤帰りの客が多い。いつも定期で乗っている京浜東北線の電車も、旅に出る時は何となく雰囲気が違って新鮮だ。
浦和から、東北線のミカン色の電車に乗れば、上野駅の地平ホーム(中央口の目の前のホーム)に着くので、乗り換えに便利だナと計画していたが、あの集中豪雨で夜になっても上り列車が遅れていて列車は一時間も遅れている。計画が狂い、乗った上野行きは何と高いホーム五番線に到着。おかげで、地平ホームまで歩かなければならず面倒臭い。
上野の中央口は、昔は係員がズラッと改札口にいて、列車案内の札が吊してあったのを覚えているが、今では係員に代わって自動改札がズラッと並んでいる。最近では慣れた感もあるが、自動改札を通るのは何か気分が悪い。やはり中央口は昔からの係員の方がいいと思ってしまう。
上野までの切符を渡し、今度は『青森・十和田ミニ周遊券』に鋏を入れてもらう。この切符はコンピュータで発券してあるが裏は黒ではなく灰色。イヤでも自動改札は通れない。
上野十六、十七番線は改良されて普通のホームより綺麗だ。床はタイル張りで下から白熱電灯の照明が、高い天井を見ると、蛍光ライトと、白熱ライトが間接照明されていて、旅立ちにふさわしい幻想的なムードを醸し出している。ホームに止まっている列車を見れば、『スーパーひたち』の真っ白の綺麗な車体が横付けされている。
なにか幻想的なホームの雰囲気とは裏腹に、列車を待つ人びとは昔の上野と変わっていない。金沢へ行く急行『能登』号の自由席案内札の前に、新聞紙を広げて大きな荷物を置いて列車を待っている。八月の終わりだというのに長蛇の列がホームを埋める。
『急行津軽 青森行 仙台・山形経由』(*1)と書かれた緑に塗られた木製の案内札の前に荷物を置いた。前にもお客がいて、時刻表を広げていたり、写真を撮っていたりしている汽車旅ファン。二人組の大学生らしい客だ。さて、新聞を広げて座っていよう、とキオスクで『東京スポーツ』を買う。旅に出ると、普段は読まない新聞や雑誌をなぜか買いたくなる。見出しは『ゴルビー処刑』。十九日にソ連ではゴルバチョフ大統領を失脚させてクーデターを起こした。出かける前に、こんな大ニュースが起こるとは。旅のあいだもこの話題が気になる。いつもは、笑える見出しの東スポも今日はブラック。大統領の生命はどうなるか気掛かりだ。
裏を見ると例のごとくポルノ記事。あわてて中に折り込んで、次の話題をサッと見たあと、ホームに広げた。
待っているあいだに、急行『能登』号が入線。年の取った作業員が、寝台で使う「JR」マークがエンドレスプリントされた浴衣や敷布の束を両肩に乗せ、時々『フッ!』と息を立てて一気に車内に運んでいる。ホームじゅうに列車のディーゼル発電機の音とEF62形電気機関車独特の音が響き、案内放送も大音響。上り特急が一時間の遅れで、これが到着してから出発するとの放送のあと、四分ほど遅れて金沢に向けて走っていった。
待ち時間が退屈になり、持参の大型時刻表をめくる。いつも旅に出る前に、「これ、重いから持っていくのをやめるか、必要な所だけコピーしていこうか」と葛藤する物のひとつである。結局、夜行でこれを枕がわりにしよう、と持っていくのだが…。
列車の到着時間を調べていると、私の後ろに少年が並んだ。少年を見ると、東北に行くにしてはずいぶんラフな格好である。Tシャツに半ズボンいずれも薄手で、青森は札幌と同じ気温だからと長袖のトレーナーを持って「万全の対策」をしてきた私とは全く逆。これでは「今から沖縄に行きます」と言っている感じではないか。荷物もデイパック一個とキオスクで買った土産物の袋だけ。そのバッグの中に何か詰まっていそうに見えない。ちなみに私は大きいバッグを持っていると先に述べた通りである。何かすごいなぁと思っている時、その少年はおもむろにボックス入りの外国煙草、「ラーク」を取り出し、火を付けてふかし出した。これには驚いた。新聞のポルノ記事を突然見るくらいに驚いた。
「こりゃ、ちょっとまずいところに並んだかもしれない…」
私は内心動揺していたが、今から移るのも面倒なので、「たまにはこんな光景を見るのも面白いかもしれない」と、見て見ぬふりをして、時刻表をまためくり出した。
「すいません」
ゲッ、何だ何だ、例の少年が私に何か聞きにきた。
「横手はここでいいんですか」
ヘッ、私は譜抜けしたがまだ緊張が続いていた。でも調子を変えずに、時刻表の奥羽線のページを見せて、七時半に着くことも付け加えて説明する。
「一人ですか?」
しばらくして、その少年が聞いてきた。
「そうです。こちらは?」
こちらも一人ですとの返事がかえったので、しばらく色々な事を話す。相変わらず「ラーク」に火をつけながら。
この少年は、神奈川の厚木から来た、中学三年生。三年といえば高校受験で夏休みに出掛けるわけにいかないはずだが、九月から始めると何となく軽い。本当なら、この日の朝に電車に乗って、河口湖あたりでサイクリングをするはずだった。ところが、あいにくの雨で中止した代わりに横手の田舎へ行くことにしたので、切符を変更し上野へ来た由。私はてっきり、東京で遊んだあと、地方へ帰るのかと思った。
いつも休みになると列車に乗って色々と行くらしく、その事で会話が弾む。
「ちょっと行ってきますので荷物を見ていて下さい」
雰囲気の割りに言葉は丁寧だ。外見で人を見るものではない。
時間が掛かるので、トイレかもしれないと思っていたが、少年はビニール袋を持ってきたのだ。見ると弁当が二個あるではないか。
「夜中腹空くのいやだから、それに向こうって弁当屋、朝早いからやってないから」
一個はその少年。もう一個は私の分だというのだ。これをおごるという。
「そんな、いくらなんたって知らぬ人におごってもらうなんて」
私は千円札を無理矢理バッグに入れて持たせた。
「いいえ、いつもおごってもらう方ですから今日ぐらいはそうさせて下さい」
「そうとは言っても、受けとっておけよ」強行手段で少年に持たせた。
「…横手、飯詰…秋田…碇ヶ関、大鰐温泉、弘前…終点青森の順に停車してまいります…」
急行『津軽』がそろそろ来るとの放送だった。いよいよだ。いつも夜汽車に乗っていても列車が来るときは何となく緊張する。
十六番線に『急行』と正面に表示された、クリームとブルーの列車が入ってきた。この車両は寝台特急『はくつる』や『ゆうづる』に使われている列車と同じ型だ。車内に入れば高い天井でボックス席になっている。座ってみると結構マットが柔らかい。さすが寝台車だ。上を見れば、収納ベッドがある。ここに中段と上段が収まっている。寝台を出すところを一回見てみたい。
上野を定刻に、揺れもなく発車した。窓を見ると専門学校の大時計が時を刻んでいる。発車後間もなくして車内検札。チラッと切符を見るだけであとは『い』と型押しされたパンチを入れてもらうだけだった。
大宮で少しお客が乗ってきているが、上野からの客が早くも陣取って、空席を探そうと車両を行き来している。
「…弘前十時四六分…自由席はこれから混んでまいります。どうぞ席をゆずり合って楽しい旅行ができますようお願いをいたします。貴重品は…」
やけに「混んでまいります」を強調していた。それもそうだ。四人掛けのボックスを二人で占拠しているし、早くも寝る準備をしていたり…。途中から乗ってきてもこれでは座れない。私も占拠している一人なのだが、次の朝にひびくので出来るだけ自分の取った所は譲らないつもりでいる。冷淡である。
ゴトゴトゴトン、ちょうど寝るのにはよい響きと揺れだ。周りを見ると、窓に足を置いて体を直角にさせている人がいた。座席の背もたれを手前に引っ張ると、座席がくずれて寝台になる。ここで堂々と二人で寝ていたり…寝台列車でもないのに寝台を広げるのは禁じられているのだが、車掌は黙認。
宇都宮あたりでちょっと乗ってきて、起きていた少年に車掌が「すいません、お願いします」と一人客を連れてきた。ところがこの客が相当な巨体でちょっと少年は窮屈そうだったが、福島ですぐに降りていった。ちなみに、この少年は煙草だけでなく、弁当と一緒に缶ビールも買った事を付け加えておく。大宮あたりで一本、福島でも一本空けてしまった。まいった。
黒磯で車内の電気が消えて真っ暗になる。冷房も止まり車内は『シーン』という音が聞こえるくらいに静まり返った。電気の方式を切り替えるため、すべての電源を止めているのだ。
私は福島の前でもウトウト寝ていたが、少年が時々起こし、
「よく眠れますね」
という。眠れなくても横になって目を閉じているだけでもちょっと違うから、と私は答えて再び目を閉じたが、また起こす。
「おなかすきませんか?」
その言葉が私の腹にも響いた。二人で先程買った弁当の包みを夜中の二時半に開く。
この弁当、日食の『汽車弁』という幕の内で、『駅弁の三種の神器』と呼ばれる卵、焼き魚、煮物(だったような気がする)を入れた、『駅弁の基本』といわれるものが具として入っている。これ、比較的安い値段の類に入るものだが、味はよい。この弁当の御飯が妙に美味しい。あまり柔らかすぎないで、固すぎない。
「なかなかシブいもの買ってくるね。結構こういうの好きなんだ」
「いや、これしか売ってなかったから…」
かなり早い朝食というか、夜食というか、とんでもない時間に食べたが腹に入れるにはちょうどいい量だった。
弁当も食べ、腹の欲求はおさまれば、あとは寝るだけだ。引っ張り出した寝台でうつ伏せになって寝る。隣のボックスでは女性グループ三人が帆立の干し貝柱を必死に噛んでいたり、プリッツを食べていたり…。三人のうち一人はとっくに横になって夢見心地で眠っていた。
上野を出てから涼しいと思っていた天井の冷房がやけに寒い。冷房は温度調整で時々スイッチが切れたりするが、また冷房がつき始めるとまた寒さが肌に刺さる。自衛で持ってきたトレーナーを着込む。これで寝られる。例の少年は相変わらずラフなスタイルで熟睡している。そりゃそうだろう。ビール二缶も空けたのだから。
横になってうとっ、としてきた頃、窓から蛍光灯の光がさす。仙台だ。夜の仙台は昼間の賑やかさなど考えられないほど静まり返っていた。ここから私の乗っている急行『津軽』は仙山線を通って山形に抜ける。しかし、この仙山線、ローカル線で線路のつなぎ目が妙に多いうえに列車が結構飛ばすから揺れがすごい。上下の揺れに横揺れ。眠れるものではない。おかげで四時過ぎに目が覚めた。
山形に五時前に到着した。以前の米沢回りとさして変わらないが、先程の揺れはすごかった。ここで列車の方向が反対になり、ちょうど戻るような感じで走る。少年はまだ寝ていた。他の席を見ると、寝台にしていた席を元に戻していた。私は昨夜寝られなかったのを取り返すため、再び横になる。
再び起きたのは真室川を過ぎたあたりから。急に起き出したので気持ち悪い。外を見ると田園風景が広がるが、気分の悪さで詳しい車窓は覚えていない。少年が何か質問してくるが、もう答える気力がない。ちなみにボックス入りの「ラーク」は昨日で一箱空けた。
そろそろ少年が降りる横手だと言うので降りる支度を手伝った。
「ここから実家は近いの」
「いや、バスでちょっと掛かります。バスの本数が少ないから、ちょっと暇つぶしするつもりです」
「なら大丈夫だ。…忘れ物ないね。切符は」
「えッ、確か上着に入れてたはずなんですが…」
さあ大変。切符をなくしたというのだ。まさか、乗り換えたわけではないのだからなくす理由がない。そこで、弁当の中から、バッグの中から、座席の間から、床下までさがしたが切符のきの字もない。
「しょうがないな、駅員に言って再発行しなきゃ」
……まもなく横手です。
到着がせまる。ドアの開く音が聞こえた。
「じゃ、一応降ります。これ、受け取って下さい」
と、一枚の紙切れを渡された。それは後で見るとして、問題の切符を私は探していた。
『ゴンゴン』と少年がホームから窓を叩くので、体を起こすと、何と切符は少年の手にあるではないか。他人ごとながらほっとする瞬間だ。ほっとしすぎたためか、用を足したくなり私は発車をトイレの中で過ごした。トイレの窓が少し開くので見ると、少年が見送っているではないか。座っていた席に私はいない。少年にとってこれは永遠の謎となるだろう。
席に戻って、先程もらった紙切れをみる。
「バッグの中を見てください ごいっしょに行っていただいてありがとうございます」
その紙の裏には(表と言った方がいい)、サンチェーンのレシートが印刷されて、その上に少年の住所が書いてあった。私は初めてだった。車内で知り合った人にお礼? の文章をいただくとは。こちらが言うのは何度もあっても、言われるのは初めてである。
ところで、バッグの中を見て下さい、とあったので、私のデイパックの中をのぞいてみた。そこには、昨日さんざん私がいいからもらっておけ、と渡した千円札があるではないか。列車は動き出してしまって、今から返すわけにはいかない。
「妙なところに強情だ」と思いつつ、その千円札をまた財布に戻す私であった。