My Trip/ 夏の終り、青森に−1991-2 / 91.8記録 99.7改版 | ||||||||
夏の終り、青森に−1991 [その2] | ||||||||
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これは、1991年の8月21日から、弘前・青森・八戸を旅した記録の続編である。夜行列車で弘前に降り立った当時の私は何を発見したのだろうか? 2・残暑の弘前にて
〜市内バスを使う〜 急行『津軽』に揺られること一二時間。列車は弘前に到着した。やっぱり日本は狭いようで広いことを実感する。列車一本でこんなに長く乗るのは初めてだ。座席で無理な姿勢で寝ていたために首が痛い。 駅のコインロッカーに大きいバッグをしまい込み、デイパックだけで市内を歩く。さっそく弘前城へ行きたいが、駅から遠そうだ。夜行明けで歩く気になれず、バスを使うことにした。 観光館は平成二年に完成した、かなり新しい場所で入場はタダ。弘前観光の情報を知ることができるところなので、博物館のようなガラス張りの展示物は少なく、ねぷたが吹き抜けにデンと据えつけてあるのが目立つ。津軽塗の工程が実物で表現されているのがいい。もうひとつ、面白いものを観た。『津軽弁講座』のビデオである。三面マルチ映像になっていて、青森放送のアナウンサー、伊奈かっぺい氏による津軽弁の説明が面白く、思わず聞き入る。 観光館の敷地内には明治期の洋風建築の建物が展示してあるが、有料だったのでのぞかず、目と鼻の先の弘前城へ進む。 が、ここほど“季節はずれ”を感じた所はなかった。弘前城といえば桜で有名ではないか。夏の終わりで客はいないし、花も咲いていない。天守閣に登ったが、人っこひとり見られない。早めに退散し、城内の公園を歩くことにする。うん、ここは結構歩いている。私も葉ばかりの桜の下を散歩。お昼を知らせる『さくらさくら』の音楽が“季節はずれ”がより一層強調させる。途中の休憩所もひなびていて、店主も暇そうだった。ここでりんごジュースを飲んでみようと、『アオレン』の自動販売機を見ると、250mlの缶が120円。結構高いなと思うが、好奇心に乗せられ買って飲んでみるとこれがうまい。甘味が胃にしみる。ちょっと甘味が強い気がするが、濃縮、還元無しのストレート。これは都心では飲めないだろう。このほか、『アオレン』の自販機には195ml缶、アップルスカッシュなどがあった。(*2) 公園を抜けて『津軽藩ねぷた村』にたどり着く。弘前のねぷたが扇形をしているのを初めて発見した。 観光的施設をひと通り見たあとで、今度は市内を歩いてみる。雪国らしく屋根のひさしが道路まで出ている家が何軒があるが、この道、ガイドブックに載っているコースの中には一切出てこない所。通学路で中学生が向こうから歩いている。普段、地元の人しか通らない道を歩くのはなかなか気分がいいが、視線が気になるときもある。 通りに出て右に曲がって南下。ここも通学路で下校中の中学生が歩いていたり、橋で立ち話していたりと生活を肌で感じられる。またどこかを曲がって弘前郵便局の裏が見える道を歩いて、住宅地らしい道を通ったが、ここが怖い。変な趣味はないが、ある女子短大の寮の前を通った際、建物が異様に古くて汚れているのを見た。写真を撮ると心霊が写りそうな気配さえ感じ、撮影は断念。暗くて妙に怖いので、足早に大通りに出るとここが先程の土手町商店街。この道を横切ると、なんと風俗街だった。こんな所昼間から歩いている人なぞいない。ここも足早に抜ける。 瀟洒な料亭のそばの橋を渡り、川沿いに行くとここが中央弘前駅。弘南鉄道大鰐線が発着する所で木造の小さな駅。弘前駅とかなり離れている。 コインロッカーの荷物を取り出し、予約してあるYH(ユースホステル)に行くため、午前中に乗った番線と同じ乗り場からバスに飛び乗る。時計台と紀伊國屋書店のある土手町通りを抜け、降りる予定の大学病院に、と思っていたが、何となく勝手がちがう。 まずい、乗り間違えた。市役所前も通らないし、どんどん遠ざかる。ねぷた村を横に見て城の周りを走る。さて、どこで引き返そうか。一つ、二つ、バス停が過ぎる。ここが最後と富士見橋前で降りる。 やっとの思いで、ひろさきYHに着く。自宅開放みたいで家庭的な雰囲気がある。 早いところ荷物を置きたいために部屋へと急ぐ。行きに上野から乗った急行“津軽”号の愛称プレートがドアの上に張りつけてある。隣を見ると“日本海”とあった。これは部屋の名前を表すもののようだ。もう一晩“津軽”で寝なければならないようだ。 ここのYHの風呂は家庭にある浴槽と同じ。だから『ここから五分のところに銭湯があります』というはり紙がしてある。青森まで来て銭湯とはと思うが、珍しい体験だと思いつつ近くの『朝日湯』に。 浴槽はYHと比べ物にならず広い。お湯は普通の水道水なのでカルキ臭いがおもいきり足を延ばせる。温度計を見ると四二度。結構熱いが、昨日変な姿勢で寝て首が痛いのをいやすのにはいい。ただ、シャワーがいつになっても冷たく、髪を洗うとき『ケロリン』の黄色い桶で洗わなければならなかった。銭湯から出て、濡れた髪のまま外を歩くのは清々しい。しばし、ここの住民になったみたいだ。気分のよい夕涼みだ。 YHに帰れば、結構ホステラー(泊り客)がいる。早速、銭湯のことを伝える。今日のホステラーは、北海道帰りと弘前観光、そし東北旅行中とまあ、東北のYHによくあるパターン。北海道から帰ってきた人の土産話を聞く。行きに寝台特急『北斗星』号に乗れたのは嬉しいが、途中で大雨に降られ、福島でストップ。おかげで札幌に夕方着いたとのこと。でも、弁当を用意してくれてこれが妙においしかったという。また、利尻島へ観光で行ったのに登山をした話など、絶え間なく話題が飛び交う。YHではこのような話で情報交換する。これが聞きたいためにYHに来る時もある。 ひろさきYHは夕食が結構美味しい。バイキング方式で色々取って食べられる。これは、残飯を出さないためだという。無農薬野菜のサラダ、ホタルイカとイカスミのあえ物、そして食後にセルフサービスで飲める井戸水の冷たい麦茶。いずれもYHの食事である。 食後も情報交換で盛り上がる。本棚にあった雑誌が気になり、私は会話の輪から少しはずれて本を読んでいると、そこに一匹の猫がやって来た。猫は好きだので持ち上げるとニャンと鳴く。撫でてやるとゴロゴロ喉を鳴らす。これ一匹だけかと思ったらもう一匹三毛猫が来た。これは持ち上げると爪を立てた。あわてて放す。 −脚注− 『幕末純情伝』や『ペンタの空』や『おもひでぽろぽろ』: いずれも1991年に公開されていた邦画のタイトル。紀行文にこのような当時話題になっていた事象や商品の固有名を書いておくと、後で読んで面白い。『幕末』…は牧瀬里穂が主演。『ペンタ』は文部省推薦だったが人気はいま一つ。『おもひで…』は言わずと知れたスタジオジブリ作品。話の中で山形県が舞台になったため、ご当地は山形新幹線開業と併せて観光PRの一環でこの映画を前面に出していた。映画が公開されていたときはバブルの末期。どんなにひっくり返してもテレビ番組のテーマ曲しか出てこない主人公タエ子の「思い出」から端を発する「空虚」の危うさを1991年の文脈で理解できる人がいたかは不明。
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