My Trip/ 遠野まつり1994-1 / 02.09開設 04.09更新 | |||||||||||||||||||||||||||||||
遠野まつり1994 [その1] | |||||||||||||||||||||||||||||||
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1日だけの小さな旅から、数日がかりの旅まで、日記風に描く旅行記です。 1994年9月13日(火)-1994年9月16日(金)
上野(23:00)→
急行「八甲田」が廃止されてしばらくは、寝台特急「はくつる」に普通車の指定席車両が1両連結していた。ワンボックスに2人しか乗っていない、ガラガラの車内で夜を過ごす。この車種の電車(583系)で東北本線を下るのは何回目になるだろうかと思いながら目を閉じる。 6時前、盛岡のホームに降り立った。とても肌寒い朝で、雨足も強い。背筋がぞくぞくしてくる。釜石線の始発列車に乗り込むと、昨日の睡眠不足を補うために揺れにまかせて熟睡した。気がつけば列車は遠野を通り過ぎ、上有住(かみありす)の峠道をこれから登るところだった。 結局、釜石まで乗り越し、目を覚ますため駅前を歩き回る。製鉄所が操業を停止したからかもしれないが、何とも静かな、寂しい街だ。朝食が摂れそうな店を探すも、食指が動くような店にはたどり着けず、商店街を往復し、再び釜石線の折り返し列車に乗り込む。 遠野に着いたのは昼過ぎ。祭りだというのに、駅前は閑散としている。特に急ぐわけでもなく、駅前のパチンコ屋で暇をつぶす。「レディースオープン」というニューギン社製の羽根物台に300円相当の玉を入れていると大当たりが。軽快な音楽とともに出てきた当たり玉でしばらく時を過ごすが、何も遠野まで来てパチンコに興じるのも虚しくなり、玉が台から消えたところで店を出る。 雨はまだ降りしきっていた。着替えの入った荷物と三脚を抱えながら合同庁舎のある道を歩くと、かすかにお囃子が聞こえてきた。その音の聞こえる方向へ歩いていくと、雨合羽をかぶった子供たちが鈴を持ちながら凱旋している光景に出会う。ようやく祭りの姿を目にすることができた。
しかし、このお囃子の行列を見たあとは、またいつもの静けさが戻ってきた。今きた道を戻り、来内川沿いをとぼとぼ歩いていると、遠野市内でも見かけることがまれになった木造橋が。思わぬ発見をする。
駅前の一日市(ひといち)通りに出ると、郷土芸能パレードが始まっていた。 一方、子供連は商店を訪問し、店の前でひと踊りするとお駄賃をもらっている。ひとつのお店のためにこうした踊りを演じてくれるのはとても嬉しい。それにしてもこの雨の中、着慣れない衣装を着て踊りまわるのも大変だろう。 夕方近く、雲が薄くなり、晴れ間が見えた。
翌日も朝から雨。この日は八幡神社で流鏑馬が行なわれる。 大祭の終了後も雨はやむことを知らず降り続けた。この夜、ついに大雨洪水警報が発令された。 翌日、釜石線は始発から運休し、帰りの足を奪われる。復旧まで土淵の伝承園で時を過ごす。伝承園の周辺にはタバコ畑があり、タバコの葉がいよいよ黄色くなっていた。このタバコの葉はいったいどんな銘柄で使われるのだろうと思いながら、畑を眺める。 昼過ぎ、ようやく列車の運転が再開されたものの、ダイヤは大幅に乱れた。新花巻で釜石線から新幹線への乗り換え時間はわずか5分。重い荷物を担いで新幹線ホームへの階段を息切れしながら走ったことを今でも鮮明に覚えている。
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