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遠野での出会い−1992[その2]
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この文章は、1992年春に私が遠野方面を旅したときの記録です。
このページでは、旅先での出来事を小話タッチでまとめて構成しています。
なお、原文が1992年当時に書かれたため、記載内容が現状と異なる点がございますのでご了承ください。
また、遠野地域についての詳細は、遠野市統合サイトをご参照下さい。

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1・1992年3月27日〜3月28日
〜平泉にて〜

毛越寺YH  仙台から東北本線の列車に揺られ、一ノ関で赤い客車、50系に乗ってガタガタ走ること20分。中尊寺で知られる平泉へ降り立つ。私が平泉に着いたときは18時を過ぎて周りが暗くなりかけていた。きょうの宿泊地、毛越寺ユースホステル(以後、YH)へ行く道は街路灯もなく、駅前の直線道路を重い荷物を担いでとぼとぼ歩いていく。

 歩くこと8分。毛越寺の看板が見え、お寺の境内に入ったのはいいが、YHがどこにあるかわからない。しばらくあたりを見回して「あそこかな」と見当をつけて飛び込む。YHに入って受付を済ませ、荷物をベッドに置く。もう、夕食の時間で宿泊者(以後、ホステラー)が先に食事をとっていた。私が夕食を食べたときには、暖かったものは御飯と味噌汁だけで、あとは冷えていた。麻婆豆腐のあんかけが冷えているのが残念だ。

 YHでは、夕食のときのホステラーどうしの会話がいちばん楽しみなのだが、どのホステラーも室内アンテナをつけたテレビを向いている。黙々と食べていて話すきっかけがつかめない。早いところ食ってしまおう。
 食後、談話室を兼ねた食堂で明日の予定を考えていると、とあるホステラーが話しかけてきた。この方、大学で社会学を専攻されているKさん。「いろいろと疲れていたからこの旅に出てよかった」とKさんは話した。専攻している学部のこと、卒業論文のこと、就職活動のことを私に語ってくれた(後日談:この話がのちに私の進路を決めることになるとは、このときには知るはずもない)。
 もうひとりは名古屋から来たという高校2年になる男性。この方とは旅について湯船に浸かってまでも話が及んだが、何を話したかは忘れてしまった。今日は山寺で体力を消耗したので早めに休むとしたい。

 翌朝、NHKのニュース「モーニングワイド」では首都圏の大手私鉄がストライキに突入し、改札口で足を奪われた会社員の罵声が飛ぶ光景を流していた。ストライキ突入とは何年ぶりの話だろうか。7時30分、『ウィークエンド東北』が始まる。1990年頃、関東地区の地方ニュースが始まる前に流れていたオープニング音楽が東北地方で再利用されていて懐かしい。
 この番組のタイトルを見て私はハッとした。そうだ、今日は土曜日だった。まずい、お金がない。
財布の中には千円札が数枚あるのみだった。郵便局に出向いて貯金を下ろしてこないと、今日の宿に泊まれなくなる。けれども首都圏と違い、土曜日はキャッシュディスペンサーが開いていないことが多いから、余計心配になる。そう思うと食事もまともにとっていられない。

 YHをはやばやと出て、郵便局を探す。YHから歩いて5分もしないところにあった。しかし窓口には「本日は営業しません」との文字。通帳しか持っていなければここでアウトだが、そのような場合を想定して事前にキャッシュカードを造っておいた。
 ところが平泉の郵便局にあるキャッシュディスペンサーは1万円札専用。いっぺんに1万円はおろしたくないが、仕方ない。このディスペンサーで福沢諭吉を呼び出し、不安は収まった。

〜山猫軒の風景〜

交差点 おしゃべりやめて しんけんに  平泉では中尊寺、金色堂を見物し、弁慶の終の地である高館義経堂から北上川を眺める。広大な川から吹いてくる風がまだ冷たい。
 東北本線の踏切で「交差点 おしゃべりやめて しんけんに」という平泉小学校のPTAが作った標語看板を見つけると、その標語に影響され、踏切を「しんけんに」渡ってみる。平泉駅に戻り「弁慶力餅」を買い求め、列車を待つ。

平泉から乗った50系客車  平泉を正午に出発した客車列車は右手に北上川を眺め、広い水田地帯を通り過ぎていく。車内ではお昼どきとあって、となりのボックスでは押し寿司を食べている人がいる。寿司独特の、お酢の酸っぱい匂いが車内に漂ってくる。空腹感を覚えるが、しばらく我慢する。

 北上を過ぎ、花巻に到着。すかさず釜石線に乗り換える。以前の旅では、花巻は乗換えだけで素通りしてしまったのだが、今回は市内にある宮澤賢治記念館に出向いてみたいと思う。
 釜石線のディーゼルカーは去年までの白地に赤帯の列車に代わって、白地に窓周りだけ黒く車体の下の部分が緑色の新型車両(キハ100形)になっている。車体が短く、ボックスシートが減ってしまったが、シートの座りごこちはとてもいい。
 動き出すと、今までの重苦しい音の割には加速の悪いエンジンとは違い、何となくバスに近い軽快な音がする。加速もかつての車両とは違い、ぐんぐん加速していく。『コトコトッ、コトン』と軽い走りを見せるこの新車に揺られて10分。新幹線の連絡駅、新花巻に到着した。

 駅前の案内板には、ここから宮澤賢治記念館まではタクシーで5分の距離とあるので、歩いても大したことはないだろうと思い、駅前の道路を着替えの入った荷物とデイパックを背負い、歩いて行った。私の脇をタクシーが勢いよく走り去るのにしばしの憤りを感じつつも歩き進む。
 釜石線の踏切で旧駅名の名残りをうかがわせる「矢沢踏切」を渡って私は少し後悔する。踏切から先の道は登り坂が続いている。重い荷物を持って、この坂を歩いていくのかと思うと気まで重くなってくる。追い打ちをかけるように『宮澤賢治記念館入口』の看板が示すところは山の上。今までの坂の2倍半はあると思えるきつい勾配を登っていく。

山猫軒外観 駅から歩くこと30分、やっとの思いで賢治記念館に到着。歩きつづけたので腹が空いてきた。記念館の展示物を見学する前に、腹ごしらえをしたい。むしろ、記念館の食堂で昼食をとりたいと思い、空腹を我慢してこの山を登ってきたのだ。

注文の多い料理店・山猫軒
 とても美しいネーミングの店だ。もちろん、店の名前は賢治の童話をモチーフにしている。建物も童話の世界を思わせる瀟洒なつくりだ。私のようなみすぼらしい服装で入るのが無礼とも思える。この建物と内装なら首都圏のレストランでもじゅうぶん通用すると思っていたが、ウェイトレスが持ってきたメニューをのぞくと、ああ、やっぱり岩手の花巻にいるのだ、と思わざるをえなかった。

  じゅんさいそば 七〇〇円
  なめこそば   六五〇円
  すいとん    六〇〇円……

 瀟洒な店の雰囲気とこのメニューのギャップに驚いた私はすかさず『すいとん』を頼んだ。
 白熱電球の暖かく柔らかな光が室内を照らし、クロスの張ったテーブルで『すいとん』をチリレンゲで食べる…なんとも豪華ではないか。ナイフとフォークですいとんを食べてみたい、そんな気にさせるのがこの山猫軒だ。

〜釜石線の風景〜

当時の最新鋭、キハ100形  賢治記念館は、幾重にも推敲された原稿用紙、岩手農学校の教師時代に研究していた鉱物のコレクションなどがふんだんに展示され、短い時間では到底すべてを見ることは困難だ。この記念館で一日を過ごすことさえ可能だ。それだけ一人物の築き上げた世界が奥深いのだと思う。

 賢治記念館前バス停から岩手県交通バスで新花巻へ。上り列車で花巻に戻り、そのまま折り返しで釜石行きに乗って、1年ぶりの遠野へと向かう。
 列車は土沢を過ぎると山を登っていく。宮守付近の眼鏡橋を渡るのが私は好きだ。
 この釜石線、宮澤賢治の小説『銀河鉄道の夜』のモデルになった鉄道路線である。以前は『岩手軽便鉄道』という、レールの幅の狭い、マッチ箱のような汽車が花巻から遠野の先の仙人峠まで走っていた。今でもその軽便鉄道の遺構を見ることができる。花巻発の列車で進行方向左をずっと見つめているとレンガ造りのトンネル跡が見られる。

 私は、この釜石線が『銀河鉄道の夜』のモデルになったか、列車に乗りながら考えてみた。先程の宮守の橋を渡る所が何となく空中に舞う列車のように感じられたのだろうか、深い林を走り抜けるのが宇宙に見えたのだろうか、それとも、軽便列車の小さい車両からイメージが思いついたのか…。どうも私は、宮澤賢治の銀河鉄道よりもむしろ松本零士の銀河鉄道のイメージが先行してしまう。

 右に国道を眺め、車と競争をする。最近、列車のスピードが速くなったので、車に抜かれることが少なくなった。以前は峠をディーゼルエンジンを響かせて登る列車の脇をクルマが颯爽と通り過ぎていったのだが。
 沿線に猿ヶ石川が姿を表してきた。川の流れにさからうようにして走る列車。発電所近くの川べりには『警報注意』の厳めしい看板。
 そういえば昔、埼玉の川越線がディーゼルカーだった頃に飯能へ出かけたことがあるのだが、車窓からどぶ川が見えて、その淵に『おちるときけん』という力強い文字で書かれた看板とそこに描かれてあったカッパの絵がやけに怖くて、数日間あの文字とカッパが忘れられなかったことを思い出した。幼年期に見たものは今になっても覚えているものだ。(後日註:ここで触れた看板は1970年代〜1990年代頃、埼玉県下の用水路周辺で見られたもので、『このへんはこわいぞ』、『このなかはあぶないぞ』といったキャッチコピーが書かれていた。)

 …と車窓を眺めながら思いにふけっている間に列車は遠野に到着。荷物を棚から降ろし、ドアーの前に立って、ドアー開閉ボタンに手を掛ける。停止し、ドアー開閉ボタンを押す瞬間が好きだ。荷物を両手にかついで、駅構内の階段を走り、改札を出る。バスの時間が分からなく、歩いているうちに発車してしまったら大変だとあせったこともあるが、1年振りに来たので感激して走ったのが本当のところだ。

 駅に降り立ち、岩手県交通バスの時刻を調べ、ストライキのチラシを眺め、民芸品店にある『明がらす』というお菓子の試食品を2〜3社食べ比べて「これはゴマが強いな」や「クルミの味がきつい」などと品評しながら、バスの時間を待った。

〜遠野YH宿泊記〜

 遠野駅より17時17分発の県交通バス桑原・坂の下行きに揺られること15分。薄暗くなろうとしている似田貝(にたがい)バス停で下車、バス停近くの曲がった小道をゆるりと歩くと、馬と牛のいる農家に突きあたる。その農家から水田の広がる土地を歩くと、遠野YHがある。ゆっくり歩いて10分の距離だ。

 90年の春に初めて来て以来、このYHを訪れるのは3度目だ。旅先の土地なのに、なぜか落ち着いてしまうのがこの遠野だ。街に流れるゆっくりとした空気、そしてYHに流れる暖かい空気に何度となく誘われる。

 「ただいまー」とYH流の呼びかけで玄関戸をくぐると、ペアレント(YHの管理者)が気持ち良く迎えてくれる。
「結構来るね」
とPさんに言われながら宿泊カードに事項を書いていく。宿泊料は3500円。1泊2食と宿泊回数券(MFHカード)割引きでこの値段である。この宿泊料の安さも大きな魅力だ。

 今日の部屋は『天狗』。このYHは『天狗』の他にも『河童』、『天女』など、遠野の民話にちなんで部屋の名前が名付けられている。寝室は2段ベッド6人相部屋ではあるが、旅行者どうしの交流を楽しむYHではこの相部屋は非常に都合がいい。旅館に泊まるよりも設備は優れているし、なによりも孤独に陥ることがない。

 寝室だけではない。近年YHは会員数が減少しており、かつてのように厳しい規則、冷えた食事、煎餅布団ではだれも来なくなってしまう。そこで、設備の改善に力を入れたこのYHは、風呂は循環式ジェットバスで星空の見える天窓付きの浴室、シャワー洗浄・暖房便座付きトイレ、洗髪可能な洗面台、床暖房システム…総額数千万の大工事を2年前に行ったという。ちなみに、2年前に初めて訪れたときは、汲み取り式便所、長いステンレスの洗面所だった。それはそれで味のあるものだったが…。

 フロントで受付をしていると、もうひとり宿泊者(YHではホステラーという)がやってきて連泊の手続きをしていた。するとそのホステラー、フロントのペアレントさんに緑色のどこかで見たことのあるような瓶を差し出した。
 『遠野物語』、『雪っこ』。
早くいえば地酒だ。

 ペアレント氏:「強度のアルコールはねぇ」
 ホステラー氏:「冷やしておくだけでいいから」
 ペアレント氏:「じゃぁいつ飲むのよ」

 この方、今までした旅の中でここまで印象が強く、そして色々な事を教えてもらった方はいないという方の1人である。
 U氏。東京に住む25歳の会社員だ。
 すごく大胆な人だ。酒をYHに持ってくるなんて。正直そう思った。ペアレント氏もいささか驚きの顔を見せている。(註・当時、YHはローカルルールとしてアルコールが解禁されていたが、まだ公式には認められていなかった)

 そのやり取りを横に2階の談話室へ向かう。YHには宿泊者どうしで集まったり語らいができる場所が必ずあるが、遠野YHではこの談話室を24時間開放している。『オールナイト談話室』とホステラーの間では呼んでいる。
 先客がいた。ひとりの女性が時刻表をめくりながら、旅程ノートに書き込んでいる。
 I氏。愛媛に住む、地元の国立大3年生。教員養成過程で小学校の先生になるために勉強しているという。この方も先程のU氏と同じく、この旅で印象に残る人である。もし、この談話室に私が行かなかったら、きっとこのあとに続く話はなかったと思う。
 愛媛から東北ワイド周遊券を使って東北随所を回っているI氏は、この遠野に今日から3連泊するという。明日、遠野市内を回りたいというので、私が以前出かけたときの記憶から場所を説明しているうちに夕食の時間が訪れる。

 食堂はウッディ調で白熱電球の間接照明が暖かさをかもし出している。夕食という言葉より『ディナー』という言葉がよく似合うような気がする。
 テーブルには私とU氏、昨日の毛越寺YHで一緒になった方、I氏、そしてもうひとり、印象に残る人がいた。
 T氏。東京に住み、今年大学に入学したばかりでYHに泊まるのは初めてとのこと。この方も明日、市内を回るというので見どころを話してみる。

 夕食は鶏肉のホイル焼きレモン添えをメインに7品目。食前にはワインが付く。肉料理は白ワインではないだろうと生意気なことをこぼしそうになるのをあわてて飲み込んだ。U氏が先導に立って「出逢いに乾杯」と言うとテーブルを同じにした面々から笑いがこみ上げる。

「そういえば昨日はサイダーだったな。今日の高校生はワインをしっかり飲んでるよ」
とU氏がいきなり私を見て言い始めた(註・当時、私は16歳。本件、時効にしていただきたく思う)。

「昨日泊まっていた今年高校生になる女の子がね、どう見ても小学生にしか見えないんだよね。ペアレントさんがワインを運んできたとき、彼女だけサイダーだったんだ。…で夜の0時頃寝巻き姿で談話室に来て話していたのだけど、寝巻き姿に色気がないんだ…(笑)」

 と少し失礼な事を言っていたのだが、なぜかおかしくて笑いを止める事ができなかった。非常に話が盛り上がる夕食だった。

 食後、談話室に場所を移しU氏、I氏、T氏プラス毛越寺で一緒になった氏と話の続きで盛り上がる。このYHは非常に話掛けやすく、話が乗りやすい。話の内容も、旅先には必ずいる、鉄道やバイクなどのマニアックな話より、遠野地方の話や、世間話の方が盛り上がる。世間話は度が過ぎると地元サイドの話になり、周囲が困惑するという事態が起こる。

 21時になると、ティータイムになる。ここでもお茶をすすり、ポテトチップを片手に語り合う。この夜は午前2時まで語り明かした。
 ちなみに私は以前、午前4時半までこの談話室に居続けたことがある。『人生ゲーム』などという極めてシビアなゲームを夜通しやっていたのだ。午前5時を過ぎるとこたつにもぐってうたた寝していた。それでも翌日に響かなかったから、若かったんだろうなと思う。


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