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未完の遠野紀行−1991[その8]
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 これは、1991年春に遠野方面を旅した際の出来事を帰着後記録したものである。幾分10年近く前の記録なので、現在の様子と異なることや、文章に多少のミスがある部分については加筆訂正、もしくは付記にて補足を加えた。

7・遠野を巡る-3
〜鉄塔〜

NHK遠野ラジオ中継所・中継機器室  伝承園のある土淵地区から自転車を漕いで、市街地へ下りる。バイパスの交差点に入る手前、八幡神社の近くから赤と白の鉄塔が近づいてくる。まだカヤぶきの家があり、クボタトラクターが国道を堂々と走っているこの遠野にこの武骨な鉄塔とは…ここは特に観光地でも何でもないのだが、何かを確かめたく、鉄塔に向かって走ってみた。
 砂利の小道をガタガタ走ると正体を現した。鉄塔のすぐ下にある建物にはこうあった。

「NHK」

 建物近くに看板が立っている。
 『NHK遠野ラジオ中継放送所・この放送所は盛岡放送局の放送を
 送り出しています
 受信できる範囲は岩手県内1万1千世帯です。どうかこの施設を
 傷めないようにお願いいたします』とあった。

 謎がすぐに氷解してしまった。この鉄塔、昭和37年からここに設置されていて、鉄塔の高さは72メートル。決して高くはない。そしてアンテナの形式は「頂部預荷付垂直型」という、何だか舌を噛みそうな名前である。垂直に鉄塔が立っていて、その上に「頂部預荷」(トップローディング:鉄塔の高さを稼ぐために取り付けられる金属の円冠)が付いている。頂上から下へ目を移してゆく。よく見ると塔に電柱の様なハシゴの役目をする棒がずうっと付いている。ここに登って点検するのだろうか。一回登っている姿を見たいものである。
 塔には支えるためのワイヤーが6本。それが3方向に延びている。そのワイヤーの途中には碍子がいくつか連結してある。遠くから見ると、この碍子だけが浮いている様に見える。その6本のワイヤーをまとめるコンクリートが田んぼの真ん中にデンと置いてある。ここからよじ登らないように、鉄柵が囲んであった。

 鉄塔の根元を見ると、何と先程の「NHK」と書いてある建物に刺さっているではないか。建物の下が少し浮いているので覗いてみるとコンクリートの支えがあったので安心した。この建物に送信機があり、ここから発信しているらしい。根元はアース、避雷針になっているのだろうか。

 しかし、考えてみるとこんな高い鉄塔が家の真ん前に建っているのは怖い。特に台風の日などは、「万が一、これが倒れたら…」と考えるたびに夜も安心して眠れない。そう思うのも、以前、金沢のテレビ塔から直径40センチの雪の固まりが強風の日に落下して、近くの家の屋根を直撃したというニュースがあったからなのだ。

 遠野に限らず、旅に出ると、出向くところは大抵ガイドに載る所に限られてしまう。初めての土地に来て急に放送塔や廃校を見つけろといってもできない行為だ。しかし、私としては、観光地と呼ばれる所のいわゆる有名ガイドブックに載るような部分だけではなく、地元のスーパー等の地域に密着した部分を見て、聞いてこそ「旅」というものが充実するように思えるのだ。

〜スーパーを覗く〜

 鉄塔から歩いても5分で行けるところに一軒のスーパーマーケットがある。
『Aコープ』。農協が経営しているスーパーである。私は、昨日あの豪華風呂で髪を洗おうとしたらシャンプーがなかった(当時)。荷物がかさばるし最近は大抵のYHにはシャンプーと石鹸、運が良ければリンスや体を洗うザラッとしたタオルが置いてあったりするから自宅から持ってこなくても良いのだが…。

 そこで、シャンプーを買うついでに、地方のスーパーをちょっと覗いてみようかと言うことで、自動ドアーの前に立った。
 中は結構広い。1階建ての平屋なので1階に何でも置いてある。 どこのスーパーでも入口近くに野菜売り場がある。考えてみればそうなのだ。私の住む所の周りのスーパーも入口に野菜果物が並んでいるのだ。これはなぜなのだろうか…。
 野菜が高騰しているのか、キャベツが半分で四百円もする。キュウリも高い。野菜は高いのでサッと通り抜ける。次は麺類……

〜解説〜

 実は、ここで話は途切れている。この旅では遠野には3泊し、
 3/24 1日目 夜行列車で出発
 3/25 2日目 陸羽西・東線、釜石線で横断。遠野へ。
 3/26 3日目 市内を巡り、廃校舎、鉄塔などを見る
 3/27 4日目 あいにくの大雪で、YH内で雪を見ながら一日を送る
 3/28 5日目 遠野を離れ東北本線を上り、仙台より山形へ。山形YHに泊まる
 3/29 6日目 スイッチバック廃止後の奥羽本線、東北本線を上り帰京。

という旅程で巡った。この話は未完成のまま6年間フロッピーに保存されていた。しかし、これを読み返すと、私の旅のスタイルをつくるきっかけとなった体験が記録されているのがわかる。観光コースのみをめぐるのではなく、地元の生活が感じられるところに足を踏み入れ、そして自分の身体をもって空気を感じる。これから私がひとり旅をするときの基調にしてきたことは、この遠野の旅でできあがっていたと推測できる。
〜遠野をゆく・未完成のまま終わり〜


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