このマスコットイメージは国体開催に先立ち、開催4年前の2000年4月から5月の間に公募された。原作者は越生町の竹越博晃氏で、県の鳥で天然記念物に指定されている「シラコバト」の愛らしさをイメージしたという。応募作品795点の中には県の花「サクラソウ」や県記章「勾玉」をイメージしたものもあった。
決定日は2000年7月3日。小渕元総理大臣の急死、沖縄サミットの開催準備などで国政に慌しさを感じる時期であった。
名前はイメージ決定後の2000年11月から12月の間に一般公募の上で決められた。
17471通の中から洋風感漂う「ハーティちゃん」、携帯電話コンテンツ会社を彷彿とさせる「サイバード」、下町の居酒屋でジョッキを傾けたくなる「ポッピー」などが有力候補に上がったが、最終的にはイメージのモチーフである「シラコバト」と「人から人、大会から大会へと熱意と真心をつなぐバトンのような存在」というメッセージを含んだ「コバトン」が選ばれた。
2001年2月21日、国体準備委員会の常任理事会で正式に決定し、こうして「コバトン」は世に出ることとなる。
以後、コバトンは巷間に飛来する。
上画像は2002年4月に撮影した国体開催を予告する看板である。この掲示場所にはかつて国民年金の納入を啓発する看板が掲示されていたが、年金徴収業務の移管によって本来の目的を失ない、しばらくは放置が続いていた。
そこで現れたのがコバトンだった。市内各所の掲示場は大会をPRする場所として復活させることに成功し、2年半にわたってこの看板が掲示されることになる。
2004年11月末、大会終了に伴い看板表面の印刷シートが剥がされ、この画像を見ることはできない。
関連ページ
→別冊看板第12集 さらば年金看板
コバトンは人の往来の激しい場所を選んで飛来する。
左画像はJR京浜東北線川口駅改札内に設置されたコバトン人形だ。きょとんとした顔で炬火(きょか)を持ち上げている姿がユーモラスだが、理由はないけれどもむかつきを覚える人もいるようで、しばし日頃のストレス発散の標的とされた。
炬火を持った腕(羽根)の部分を根こそぎ折られたり、頭の部分に「根性焼き」を入れられる仲間もいた。
ちなみに土台には7セグメントのデジタル表示機があり、国体開催までの期間をカウントダウンしていた。
国体終了とともに駅構内から撤去され、現存しない。
看板は人が行きかう場所に置いてこそその効果を存分に発揮するが、上画像は県庁の最寄り駅、浦和駅西口正面に設置されたものである。改札を出るとすぐ目につく場所に掲示されているのがポイントだ。競技種目ごとにさまざまな表情のコバトンをここで見ることができるが、小さすぎてこの画像で確認することは難しい。
看板右上にはLED表示機があり、開催までのカウントダウン、開催期間や場所などの告知を文字情報で流していた。この看板の左側には路線バスの案内板が設置されており、設置場所も相まって視認性は非常に高い。
商店街の道路脇街路灯にぶら下げるフラッグ。看板というよりは広告サインの一つだ。
これらは国体開催の約1、2ヶ月前から掲示され、県外もしくは市外から大会に参加する選手や観戦者に対するアピールとしての機能を持たせている。
左は川口市内、右はさいたま市浦和駅周辺で見ることができた。
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大会のPRと大会費用捻出のため、コバトンを使ったグッズが販売、配布された。
ぬいぐるみ、キーホルダー、携帯電話ストラップ、チョロQなどの販売品は県内の市町村役場で売り出され、チョロQは完売した。
また、自動車に貼付するステッカーを作成し、県内の自動車保有台数の3分の1にあたる100万台に貼付されることを目標に配布された。県の公用車だけでなく、各所を移動する自家用車にステッカーを貼ってもらうことで、自家用車を国体の宣伝カーとして機能させるねらいがあったと考えられる。
さらに国体開催期間中、大会会場で販売されたグッズ売上金のうち500万円が新潟県中越地震の義援金に充てられた。
コバトンを愛してやまないのは現職の上田清司知事だ。知事室にぬいぐるみが飾れているのはもちろん国体主催県代表のポーズにほかならないが、新聞取材において
「笑っても、しかめてもいい不思議なキャラクター。今後も何らかの形で生かせないかと思っている」(2004.10.29朝日新聞埼玉版)
「どんなポーズをしてもかわいい。こんなに人気があるのに国体が終わって使わないのはもったいない」(2004.10.31産経新聞埼玉版)
と語るなど、このキャラクターに強い愛着をいだいていることがうかがえる。県のトップが率先してキャラクターを好きになるその姿勢には強く共感する。
すでに県発行の広報「彩の国だより」にはカット・図案としてコバトンが登場しており、2004年1月に版権が県へ移ることで、県の発行する刊行物などで露出する機会も増えることと思われる。
ちなみに「彩の国だより」の「情報版」というページ冒頭のカットには、メガネをかけたり帽子をかぶった「コバトン一家」が描かれている。
さらに国体開催時に運営寄附金を集める目的で作られたグッズ類のうち、人気の高いぬいぐるみを2005年秋に再発売した。2006年版のカレンダーとともに県庁売店などで販売されており、今後グッズ類のラインナップが増えることが期待される。
ちなみに、国体のマスコットイメージが県のマスコットイメージとして長岐にわたって使用されている例として群馬県の「ぐんまちゃん」や「ゆうまちゃん」が挙げられる。「ぐんまちゃん」は1983年の「あかぎ国体」で制作されたもので、絵本作家馬場のぼる氏がデザインした。
通常、イベント用に作られたキャラクターは、イベントの終了によってその使命を終えてお払い箱になり、忘却の彼方へと追いやられるのが宿命だ。
しかしコバトンの場合、キャラクターそのものが持つ印象の強さもさることながら、人目につく場所への露出を続けたことで、私たち県民に広く浸透させることができたのではないかと考えられる。
埼玉県では公的機関だけでなく民間企業等にもキャラクターイメージの利用を申請方式で認めている。あわせて「コバトン デザインガイドマニュアル」を作成し、クレジット標記、特色指定方法、表情のパターンなどについてのガイドラインを策定した。
さらに着ぐるみを貸し出す施策を開始し、規程まで定めている。現在、10体の着ぐるみのコバトンが県庁や地域創造センター各所に配備され、イベントやスポーツ大会などで使用されている(右画像)。
加えて、インターネットのWebサイトはもちろんのこと、事務用封筒にもコバトンが印刷されるなど、県外の住民や関係者へのアピールも継続して行なわれている。事務用封筒は表面に「スピードとサービスの埼玉県庁」というキャッチコピーが併せて印刷されている点も興味深い。
国体のPRを機に生まれたキャラクターは今後、県や県内企業のPRとして活用されていくことになる。埼玉県内各所を歩けばきっとどこかでコバトンの姿を見つけることができるに違いない。
ちなみにコバトンのモチーフになったシラコバトは、越谷を中心とした県東部でしか観察されなくなっている。
看板・モニュメント類画像のデータ
1.川口市内大会告知…川口市内 2002年4月
2.カウントダウン人形…川口駅構内 2004年9月
3.LEDパネル埋め込み型…浦和駅西口 2004年11月
4.フラッグ型左…川口市内 2004年11月
フラッグ型右…さいたま市内(浦和区) 2004年10月
5.モニュメント…西川口駅東口 2004年2月
6.<参考>コバトン一家…「彩の国だより」2004年11月号
7.コバトン着ぐるみ…JR大宮工場イベント会場 2005年5月
関連サイト
→埼玉県
├埼玉県のマスコット コバトン
├デザインガイドマニュアル
└コバトングッズ(ぬいぐるみ、カレンダー)
→彩の国まごころ国体公式サイト
├彩の国まごころ国体開催準備の経過
├愛称、マスコット、スローガン
└マスコット愛称
→財団法人 日本体育協会
└埼玉県体育年表
→MSN-Mainichi
└コバトン、県に“再就職” 国体だけでは“残念”−−著作権など県に譲渡 /埼玉