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 1985 お昼のワイドショー・テレビ公開捜査

1985年8月XX日

 長かった夏休みも終りに近づきます。なぜか過ぎ去った時間を思い出して感慨にふけるのもこの頃です。何をしようというわけでもなく、漠然とテレビを見てしまう自分に寂しさを感じつつ休みの終りを迎えるわけです。

 そんな時に見ていた番組が、日本テレビ系列の『お昼のワイドショー』です。ジャズ調のオープニングテーマ曲を改めて聴くと、なぜか「高級感」を感じます。今では『おもいッきりテレビ』に名称が変わり、「胡瓜をすりおろして食べると高血圧に効く」などとみのもんた氏が必死になって業界団体の陳情に応える番組になってしまいましたが、当時は『アフターヌーンショー』と競合するためにあらゆる芸能情報、生活情報を流していました。『アフター…』が多少いかがわしい感じがする一方で(あくまでも私見です)、『お昼の…』は有閑マダムが観る感じがしました。『お昼の…』あと12時55分に放送される『暮らしのヒント』『ごちそうさま』などもなかなか洗練されていたと思います。(ちなみに『アフター…』は1985年のやらせ事件で打ち切りになりました)。

 この『お昼の…』、夏場になると趣向が変わって、おなじみの『怪奇特集・あなたの知らない世界』が放送されます。当時は1週間〜2週間とかなり長めのプログラムで構成されていました。ちょうど心霊ブームの頃だったので視聴者投稿も多く、構成作家も想像力を張り巡らしてさまざまな企画を考えることができたため、これだけロングタームで放送できたのかと思います。ところで、心霊評論家、新倉イワオ氏は今でもご健在なのでしょうか。

 けれども個人的には、『あなたの知らない世界』よりも『テレビ公開捜査』の方が観ていて怖かったです。『テレビ公開捜査』は行方不明者や失踪者を実名公開して視聴者に情報を提供してもらう特集でしたが、子供時代に見たこの番組の記憶は今でも強く残り、頭から離れることができません。何が怖かったかのでしょうか。

 それは、「現に存在していた人が突然消える」という未知なことに対する恐怖心と考えることができるのではないでしょうか。心霊現象に対して「本来ならば存在しないのに存在している」ということで恐怖心が湧き立つことを考えると、同じワイドショーで心霊特集と行方不明者捜索特集を放送することは一瞬ジャンルの異なるように思えますが、要素的には双方は非常に似た造りをするわけです。

 テレビ公開捜査にはさまざまな「恐怖心」を湧き立たせる「要素」が含まれています。
 「まずははじめの方です」と司会者がコメントすると、暗めの音楽とともにテレビ画面には昭和53年頃に撮影された行方不明者の白黒写真パネルがアップで映し出されます。スナップ写真をむりやり拡大するものだから、粒子が粗くなっています。「手がかりとなるものがこんな粒子の粗い写真しかないのか」と思わせることがまずは必要なのです。さらに行方不明者の写真の顔が笑っていれば、筆舌尽くし難い不気味さが増幅されます。

 写真パネルには黒地に白抜きの文字で「自宅前で姿を消した○○○○さん(18)」と書いてあります。新聞の重大記事の見出しには黒地白抜き文字が使われますが、注目度を高めて他を圧倒させる効果を持ちます。もちろん、DTPが普及していない頃なので、白抜き文字が効果をつける手っ取り早い方法だったということもできますが。

 続いて、不明者がいなくなった場所をレポーターが歩きながら解説する場面が放映されます。「○○さんは『ちょっと散歩に行ってくる』と言ったまま、この交差点を最後に姿を消してしまいました…」淡々と語るレポーターの無機質性が、視聴者に考える余地を与えます。何でこの人はいなくなったのだろう。失踪、拉致、誘拐、殺人、自殺、オカルト的に神隠し…とさまざまな想像力をかき立てるわけですが、いずれにしても「消えた」という未知な事件に対して自ら何らかの理由づけをせずにはいられないわけです。

パネル写真の一例(再現) スタジオに戻ると、行方不明の状況や不明者の特徴を説明したパネルが映し出されます。

 「昭和53年7月XX日、国鉄○○駅で目撃されたのを最後に消息不明」
 「所持品:紺色のマジソンバッグ」
 「ジーンズ地のキュロットスカートに白のブラウスを着用」
 「体重XXキロ、身長XXXセンチ、顔面のXXXXXXが特徴」

これらの特徴を見ると、当時の流行がよくわかります。マジソンバッグのように誰でも持っているものであればあるほど、恐怖心がかき立てられます。行方不明者もあなたが持っているようなバッグを持ち、服を着ていたんですよ、と説明することで意味不明な親近感を持たせたり、あるいは「自分も巻き込まれたらイヤだな」という感覚を持たせたりします。遺留品のカラー写真がピンぼけで色褪せていることも注目です。いつ消えたのかわからない、手がかりになる遺留品がはっきり読み取れないという曖昧さの中に、地名や商品名などといった具体性を持ち込ませることで印象を高める効果を引き出しているように思います。

 そして最後に登場するのが、不明者の家族です。父親や母親がいなくなった娘や息子に向かって、子供がいなくなった親に向かってカメラの前でこう呼びかけるのです。
 「○○ちゃん! いつでも帰っておいで。母さんね、いつでも帰りを待ってるからね」
失踪状況を無機的に紹介することでさまざまな想像を持たせ、恐怖心の絶頂にある中で、肉親の切実な叫びを聞かせるのです。これによって、番組を観る多くの人に感情レベルで強い印象を持たせていくのです。

 往年の『それは秘密です』や『バラ色の珍生』に見られる「長い間音信不通になっていた親子が40年ぶりに再会する」ような番組は、再会というドラマによってある種のカタルシスを観る人に提供していますが、テレビ公開捜査はこのような手法を使いません。見る人に強く印象づけて、多くの情報提供をしてもらうためにはあえてカタルシスを起さず、消えたことに対する恐怖心、連れ去ったであろう犯人への怒り、残された家族に対する同情を何倍にも増幅させていくことが求められているのです。これが典型的な「日本のワイドショー」的手法です。

 番組では1976年から1978年に失踪、というケースが多かったように思います。1970年代、日本海沿いでは数十件もの失踪・誘拐未遂事件が発生していました。政府はこれを北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作員による仕業と考え、現在でも北朝鮮外交の最重要問題の一つとして位置づけていますが、拉致された人たちもこの番組で取り上げられたのかもしれません。しかし、一向に拉致疑惑問題は解決していませんし、テポドン問題や不審船事件でも日本と北朝鮮の関係はますます悪くなる一方です。何度もこれらの番組で捜索を続けていた坂本弁護士家族の失踪も、オウム真理教の仕業であるところまでにはたどり付くことはありませんでした。

 このような公開捜査番組も(消えた芸能人を探せ、のようなバラエティ的色彩の強いものではなくて)最近になってはめっきり放送されなくなりました。情報提供の信頼性が高くなかったのか、他人にあまり関心を持たなくなったのか、このような事件が多すぎて紹介しきれなくなったのか、ただ単に放送枠がないのか…理由は数多く考えられますが、番組を放送することで事件がどれだけ解決したのかを示さなかったことが最大の問題ではなかったかと思います。

参考出展

お昼のワイドショーテーマ (RealAudio形式・81kb)

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