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すでに教育崩壊

06月13日

 ついに文部省が学習塾を認めました。学校機関の妨げになる存在と見ていた今までの見解から、学校教育の補習的役割として共存をはかろうという路線に大きく変化しようとしています。これは大ニュースではないでしょうか。なぜなら、学校教育はすでに崩壊していることを文部省がおおやけに認めたと同じだからです。

 学習塾は企業間競争が激しいですから、通信教育、テスト問題解説講座、個別指導などさまざまな教育方法、教育形態を開発して、あらゆる生徒のニーズに合った教育を提供してきました。
 思えば、生徒と世代の近いアルバイト大学生を講師に使って、「友達感覚」で授業を展開していたことも教育方法の一環だったのでしょう。もちろん、「開成○名、武蔵○名」などの数値を上げるという経営的ノルマのためにやっていることは否定できませんが、それが生徒に「塾の勉強は面白い」と言わせるための工夫をどんどん生み出していったといえます。

 その間、学校は何をやっていたのかというと…

 ・先生が教壇に立ったら、「傾斜45度の礼」をして着席させる
 ・頭髪は丸刈り、オカッパ頭。それ以外の髪型は指導対象
 ・給食は汁物、飯、主菜の順で食べるよう指導する
 ・運動会の行進のときは来賓席に「最敬礼」をさせる

 などという、社会に適応させるというよりもむしろ管理統制のための「生活指導」ばかりをやっていたわけです。時には暴力的手段を使い生徒に強要し、大きく新聞に報道されたことがありますが、国立大をはじめとする教育学部を卒業した「教諭」らはこんなことをやるために先生の道を選んだのかと疑いたくもなります。しかし、肝心な勉強の方はといえば…

 ・教科書と生徒指導書の棒読みで45分を過ごす
 ・授業に集中しない生徒がいるのは、自分(教師)の問題ではなく、生徒の問題だと責任を転嫁して、その生徒を「非行」扱いにする
 ・進路指導は業者テストの成績に頼り、生徒の希望も聞かず、しかも説得の余地もないまま、輪切り的に決定してしまう

といった事務的、形式的な指導をしていたわけです。さきに挙げた例はかなり極端かもしれませんが、どこの学校にもこんな先生はいたはずです。これが1980年代の学校教育の「事実」です。
 その後、業者テストの廃止、体罰禁止の通達強化の結果、次に登場してきたものが「調査書(内申書)主義」の教育指導です。これによってテストの点数だけでなく、「生活態度」も評価対象になりました。
 しかし、長い間テストの点数で評価をしてきた教育現場に、個々の「意欲」や「関心」を評価するすべを検討しないまま導入してしまったために、

 ・生徒が授業中に手を挙げた回数を機械的に測定する
 ・生徒間で「どの生徒が信頼できるか」などを紙に書かせる
 ・教師に対し、尊敬的な態度をとっているかを判断させる

という評価基準が登場してきました。「点数だけで評価しない」というのはタテマエで、結果的に「人間の内面」を数値によって「評価」してしまったわけです。
 これは「授業も分かったフリをして、先生に逆らわないで、同級生にもあまり自分を見せないでいれば調査書(内申書)に影響しない」という意識をさらに強く生徒に刷り込ませることになりました。

 「何を考えているのか分からない」、「接する人によって態度を使い分けする」、「コミュニケーションがうまくとれない」若い人たちが増えている、と評論する人がいます。そして「学校にいると息苦しい、自分が壊れていく」と心境を吐露する人もいます。
 しかし、自己をさらけ出すことが時によって「悪い評価」になることを知った人たちの「防衛手段」は唯一、「自己をさらけ出さない」とするならば、こうした若い人が出てきて当然の結果です。

 「学校崩壊」(by 河上亮一氏)、「学級崩壊」(by 朝日新聞社)という本がベストセラーになり、ようやく学校教育の問題が社会問題になってきました。私もここ数週間、本屋で「学級崩壊」関係の本を購読、立ち読み、流し読みしてきましたが、「教師が悪い」、「家庭が悪い」、「学習塾が悪い」、「日教組が悪い」、「文部省が悪い」、果ては「生徒が悪い」と犯人探しの責任なすり付け論調が含まれていたのは残念でした。自分の立場を守ることに必死になっているのが伝わってきます。

 先ほどの「指導」や「評価」でも言えるのですが、「将来を生きていく人間に何を学んでほしいのか、何を教えていったらいいのか」という視点がどこかに消えてしまっています。
 これは自分よりも生まれの遅い世代の人たちに未来を任せられるかどうかにもかかわってきますから、教育は他人事はなく、自分にも降りかかってくる問題です。ここでまともに考えなくては「教育崩壊」が訪れてしまうのではないでしょうか。

 いや、もう始まっていて、いま手をつけないとえらいことになっているのではないでしょうか。

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