My Trip/ 遠野での出会い−1992-5 / 92.3記録 04.08改版 | |||||||||||||
遠野での出会い−1992[その5] | |||||||||||||
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この文章は、1992年春に私が遠野方面を旅したときの記録です。 5・1992年3月30日
〜帰る〜 U氏が今日帰るという。昨日の酔いを残すことはなかった。2日間一緒に過ごすと別れるのもつらい。その気分を反映するかのように今日は雨だ。思っていたよりも強く降っている。その上、岩手県交通バスは賃金引き上げの折衝で、24時間ストライキを行ない、遠野駅前まで出る足を奪われた。JRバスは日に4本しかなく利用しづらい。
そこへ強い援軍があらわれた。YHにマイカーで来た同宿者だった。名前を聞かなかったのでお礼ができず、今でも後悔が残る。 車内でU氏が悩んでいるようだった。このまま帰ってしまっていいのだろうか。しかし、明日からは仕事だ。普段の生活のリズムに戻ってしまう。もう一日遠野にいたい…。そう考えたのだろうか。
遠野駅前の交差点に近づいた。U氏は答えをまだ出していない。
交差点を右に曲がると駅舎へ向かい、そのまま改札に直行する。右に曲がると市街地に出る。U氏は帰ることを一日延ばしたのだった。
再びクルマに乗り込んだU氏と私は、再び車中の人となる。途中、U氏が酒屋に寄って一升瓶を買ってきた。『遠野物語』という地酒だ。 〜伝承園小噺〜
●その一
昼食をとった。今日は「ひっつみ」というすいとん料理と「焼きもち」をいただく。 一方、「焼きもち」はそば粉を練った皮の中にクルミを入れた砂糖味噌の蜜を包んで焼いたもの。地元ではおやつ代わりに食べられていたという。焼きもちの一片を歯でかじると、中から味噌だれがドッと出てきて、不意に衣服を汚すことがあるので気をつけて食べる。
ところで、遠野駅前までクルマで送ってくれた同宿者氏と食堂に入ったのだが、どこで聞き間違えたのか、「ひっつみ」のことをしきりに「せっちん、せっちん」と言っていた。
●その二
この日、40代と思われる夫婦の観光客が店内で土産物を手にしてあれこれ語っていた。
おやじさんは白い大根の漬物が入った袋を手にして、 と店員顔負けのセールストークをしている。薀蓄付きで語られては買わずにはいられない。どうも人間というのは「限定品」と言われるものに指が動くようで、この大根状カブの漬物を買ってしまった。
自宅に帰り、夕食の添え物として例の漬物を出して、ひと切れ口に含んだ。
その直後、 ちなみに「暮坪カブ」はすりおろしてそばの薬味に使った方がおいしい。
●その三
この伝承園の近くに、桶職人の仕事場がある。この職人さんは、桶を作らせら日本で5本の指に入ると言われているそうだが、その職人さんが桶と一緒に作り出したのが木彫りのカッパである。
私は実用的に使えるカッパのようじ入れを買った。これはカッパの「頭の皿」の部分がくり抜いてあり、ようじが置けるようにしたものである。 カッパと言えば92年7月より開催される「世界民話博IN遠野」のキャラクターマスコットもカッパである。その名も『カリンちゃん』。なかなかかわいいのだが、名前の由来が分からない。伝承園の店員に聞いてみたところすぐに判明した。
「これはね、カッパの『カ』と遠野市の花、りんどうの『リン』を併せたのよ…」 余談だが、最近、遠野駅前広場に新しくカッパのオブジェができたのだが、その気持ち悪さは右に出るものがない。細い手足のカッパが手編みのセーターを着ているのである。あまりのリアルさに身の毛がよだつ(→関連画像)。
●その四
その名は『コンセイパイプ』。コンセイとは金勢様のことで、はっきりといえば男性のシンボル。
それにしても公然とこうした物を売っているとは。価格は2060円。
●その五 そこで作ったのがわらの馬。「馬っこつなぎ」という祭り事に使われる細工だが、民芸用にも作られている。これに挑戦してみようというのだ。稲のわらを使って縄をなうのだが、私にはできず、わら細工を教えてくれたお婆ちゃんの手を借りた。縄以外はなんとか順調に作業を進めていた。
その時、ふたりの男女が細工を行っている部屋(工芸館)にごそごそと入ってきて、予告なしに私たちにフラッシュを向けた。私が苦戦しながら作っている最中を撮影されるとはこれまた恥ずかしいと思っていると、こんどは女性が「何年生?」などと聞いてきた。 それから3か月後、書店で旅の資料になりそうな本を見つけた。きれいなカラー写真と有名執筆者の文章が光る。河出書房新社発行の『夏休みこども時刻表』には詩人、俵万智氏の「賢治と風のものがたり」という紀行文が載っていた。 紀行文は花巻と遠野を題材にしていた。「3ヶ月前に出かけたところだ」と少し笑みを浮かばせながら読んでいると、こんな一節があった。
もう一人のおばあさんは男の子にわらで馬の人形を作る方法を教えていた。
まぎれもない。私のことだ。それ以外に考えられない。中学生がわざわざ埼玉くんだりから遠野にわら細工の馬を作りに行くなんて、私以外考えられない。衆人の前で放置プレイをされているような恥ずかしさが私をつついた。
伝承園に足を運ぶたびに、これらのできごとが昨日のように思い出される。そして出かけるごとにまたひとつ小噺ができていく。
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