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遠野での出会い−1992[その5]
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この文章は、1992年春に私が遠野方面を旅したときの記録です。
このページでは、旅先での出来事を小話タッチでまとめて構成しています。
なお、原文は1992年当時に書かれたため、記載内容が現状と異なる点がございますのでご了承ください。
また、遠野地域についての詳細は、遠野市統合サイトをご参照下さい。

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5・1992年3月30日
〜帰る〜

 U氏が今日帰るという。昨日の酔いを残すことはなかった。2日間一緒に過ごすと別れるのもつらい。その気分を反映するかのように今日は雨だ。思っていたよりも強く降っている。その上、岩手県交通バスは賃金引き上げの折衝で、24時間ストライキを行ない、遠野駅前まで出る足を奪われた。JRバスは日に4本しかなく利用しづらい。

 そこへ強い援軍があらわれた。YHにマイカーで来た同宿者だった。名前を聞かなかったのでお礼ができず、今でも後悔が残る。
 午前9時過ぎ、U氏が乗る花巻行きの列車に合わせてYHを出た。私も見送るために一緒に乗せてもらった。オートマチック、電動ウインドー、サンルーフ、カーステレオ付きのカリーナが加速する。さすがに速い。速度は60キロを超えていた。

 車内でU氏が悩んでいるようだった。このまま帰ってしまっていいのだろうか。しかし、明日からは仕事だ。普段の生活のリズムに戻ってしまう。もう一日遠野にいたい…。そう考えたのだろうか。

 遠野駅前の交差点に近づいた。U氏は答えをまだ出していない。
「あと10分で列車出ますよ。どうしますか」
私がそう言った時、U氏は言った。
「左に曲がってください」

 交差点を右に曲がると駅舎へ向かい、そのまま改札に直行する。右に曲がると市街地に出る。U氏は帰ることを一日延ばしたのだった。
 クルマは遠野郵便局の前で停まる。私が旅費を下ろし、土産物を送るため「ゆうパック」の袋を買っているとき、U氏は公衆電話に向かっていた。職場とYHに電話を入れていた。
 「もう一日延ばすことになりました」、とU氏から聞いた時、胸に詰まっていたものが降りていったような気がした。

 再びクルマに乗り込んだU氏と私は、再び車中の人となる。途中、U氏が酒屋に寄って一升瓶を買ってきた。『遠野物語』という地酒だ。
「またYHで酒盛りですか?」
「いや、職場に持っていくのさ。上司がちょっとね…」
 一日多く遠野に滞在できる嬉しさと、休暇を一日多く取ることの心配が入り交じっていることばだった。

〜伝承園小噺〜

●その一
 土淵にある「伝承園」は、お気に入りの場所だ。遠野へ出かけたときには、この伝承園には必ず足を運んでいる。博物館的な施設ながらも、どこか田舎の実家のように過ごせる場所なのだ。
 そしてこの日も伝承園に出かけた。

 昼食をとった。今日は「ひっつみ」というすいとん料理と「焼きもち」をいただく。
 「ひっつみ」は鶏肉のだしをしょう油で味をつけ、そこに野菜と小麦粉を練ってひとくち大にちぎったものを鍋に放り込んで煮た郷土料理だ。遠野ではこの「ひっつみ」を食べられる場所が随所にあるが、伝承園の「ひっつみ」が特においしい。歯ごたえのある鶏肉とせりの青臭い香りがたまらない。春先とはいえ、雨の日はやはり寒いから、この「ひっつみ」のつゆを飲むととても暖まる。東北地方では珍しくうす味で仕上がっている。

 一方、「焼きもち」はそば粉を練った皮の中にクルミを入れた砂糖味噌の蜜を包んで焼いたもの。地元ではおやつ代わりに食べられていたという。焼きもちの一片を歯でかじると、中から味噌だれがドッと出てきて、不意に衣服を汚すことがあるので気をつけて食べる。

 ところで、遠野駅前までクルマで送ってくれた同宿者氏と食堂に入ったのだが、どこで聞き間違えたのか、「ひっつみ」のことをしきりに「せっちん、せっちん」と言っていた。
 せっちん(=雪隠)、これすなわちトイレのこと。
 私も気づかぬうちにこうした聞き間違いをしているのかもしれない。

●その二
 昼食後、園内の売店に寄った。『明がらす』という甘い菓子が私の好物で、今回も欠かさず購入する。山ブドウを固いゼリー状にした『山ぶどう飴』という、以前出かけたときに目をつけておいたものの買うまでに至らなかった菓子もきょうこそはと一緒に買い求める。

 この日、40代と思われる夫婦の観光客が店内で土産物を手にしてあれこれ語っていた。
 その中にかなり物知りで自分の知識を語らずにいられないようなおやじがいて、熱弁を振るっているのだった。不意に目を合わせてしまったのが最後、その熱波が私たちにやってきた。ちょうど漬物売り場にいたときであった。

 おやじさんは白い大根の漬物が入った袋を手にして、
「これは暮坪カブっていうんだけど、大根に見えるだろ? でもカブなんだ。これは遠野でしか作れないんだ。ちょっとピリッとしていて美味しいよ」

と店員顔負けのセールストークをしている。薀蓄付きで語られては買わずにはいられない。どうも人間というのは「限定品」と言われるものに指が動くようで、この大根状カブの漬物を買ってしまった。

 自宅に帰り、夕食の添え物として例の漬物を出して、ひと切れ口に含んだ。  その直後、
「あのおやじぃ…」
と叫んだのは言うまでもない。苦味と辛味の強い味は当時の私の味覚には合わず、しばらくの間、自宅の冷蔵庫の中に漬物の袋がいつまでも貯蔵されていた。

 ちなみに「暮坪カブ」はすりおろしてそばの薬味に使った方がおいしい。

●その三
 遠野聞いてすぐに連想するのはカッパである。実のところ、柳田国男の「遠野物語」では、カッパはあまり良いことをする生物として扱われていないが、現在では遠野を代表するキャラクターとして、大いに愛されている。

 この伝承園の近くに、桶職人の仕事場がある。この職人さんは、桶を作らせら日本で5本の指に入ると言われているそうだが、その職人さんが桶と一緒に作り出したのが木彫りのカッパである。
 大きさは高さ10センチから20センチまであり、おまけにカッパの家族セットなどというものもある。近頃は市内各所で木彫りのカッパが作られるようになった。

 私は実用的に使えるカッパのようじ入れを買った。これはカッパの「頭の皿」の部分がくり抜いてあり、ようじが置けるようにしたものである。
 しかし、ようじを置いてみるとなかなかファンキーである。カッパの頭にようじが刺さった姿を思い出してもらえれば分かる。

 カッパと言えば92年7月より開催される「世界民話博IN遠野」のキャラクターマスコットもカッパである。その名も『カリンちゃん』。なかなかかわいいのだが、名前の由来が分からない。伝承園の店員に聞いてみたところすぐに判明した。

「これはね、カッパの『カ』と遠野市の花、りんどうの『リン』を併せたのよ…
名前をつけることの苦労を知ったような気がする。

 余談だが、最近、遠野駅前広場に新しくカッパのオブジェができたのだが、その気持ち悪さは右に出るものがない。細い手足のカッパが手編みのセーターを着ているのである。あまりのリアルさに身の毛がよだつ(→関連画像)。

●その四
コンセイパイプ  同じく売店での出来事。民芸品や郷土玩具が所狭しと並べてある中に、竹製のざるの上に赤いフェルトを載せて木製のパイプが5本ほど置いてあった。周りの郷土玩具に比べてフェルトの上に置いてあるとはとても待遇が良い。

 その名は『コンセイパイプ』。コンセイとは金勢様のことで、はっきりといえば男性のシンボル。
 パイプになっているということは、必ず煙草を吸う目的で造られたものである。しかしこのシンボル形パイプは吸い口が決まっていない。どちらからでも吸えるという非常に危険なパイプである。

 それにしても公然とこうした物を売っているとは。価格は2060円。
 そしてこの製品を考えた人は誰なのだろうか。企画段階でボツにならなかったのが不思議である。製造している工場もつきとめてみたいものだ。

●その五
 1990年の春、私が初めて遠野を訪れたとき、YHのヘルパーさんの勧めで伝承園へわら細工を作りに出掛けたことがある。

 そこで作ったのがわらの馬。「馬っこつなぎ」という祭り事に使われる細工だが、民芸用にも作られている。これに挑戦してみようというのだ。稲のわらを使って縄をなうのだが、私にはできず、わら細工を教えてくれたお婆ちゃんの手を借りた。縄以外はなんとか順調に作業を進めていた。

 その時、ふたりの男女が細工を行っている部屋(工芸館)にごそごそと入ってきて、予告なしに私たちにフラッシュを向けた。私が苦戦しながら作っている最中を撮影されるとはこれまた恥ずかしいと思っていると、こんどは女性が「何年生?」などと聞いてきた。
 さすがに「苦戦の途中に話し掛けないでよ」などと初対面の人に言えるわけがない。じっとこらえてふたりが帰るのを待った。

 それから3か月後、書店で旅の資料になりそうな本を見つけた。きれいなカラー写真と有名執筆者の文章が光る。河出書房新社発行の『夏休みこども時刻表』には詩人、俵万智氏の「賢治と風のものがたり」という紀行文が載っていた。

 紀行文は花巻と遠野を題材にしていた。「3ヶ月前に出かけたところだ」と少し笑みを浮かばせながら読んでいると、こんな一節があった。

  もう一人のおばあさんは男の子にわらで馬の人形を作る方法を教えていた。
  「埼玉から、中学2年生だよ」
  そういった時少年の目が誇らしげに輝いていた。埼玉から一人旅(以下略)

 まぎれもない。私のことだ。それ以外に考えられない。中学生がわざわざ埼玉くんだりから遠野にわら細工の馬を作りに行くなんて、私以外考えられない。衆人の前で放置プレイをされているような恥ずかしさが私をつついた。
 まさか、雑誌の、それも有名詩人の紀行文に私が載るとは思わなかったが、それにしても、俵さんもひとこと言ってくれればよかったのに…。「サラダ記念日」の読者が目の前にいたのですが…。


 伝承園に足を運ぶたびに、これらのできごとが昨日のように思い出される。そして出かけるごとにまたひとつ小噺ができていく。
 私がせっちん、いや、ひっつみの味を思い出すとき、私は再び足を運ぶ。


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