My Trip/ 未完の遠野紀行−1991-6 / 91.3記録 00.7改版 | ||||||||
未完の遠野紀行−1991[その6] | ||||||||
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これは、1991年春に遠野方面を旅した際の出来事を帰着後記録したものである。幾分10年近く前の記録なので、現在の様子と異なることや、文章に多少のミスがある部分については加筆訂正、もしくは付記にて補足を加えた。 6・遠野を巡る-2
〜廃校舎〜
水車小屋を離れ、再び自転車を滑らせる。下り坂になっているので非常に楽だ。手元のカメラを出し、ファインダーを覗きながら下ることを試みる。その瞬間をシャッターに収めるが、振り返ってみればかなり危険なことをしたものだと思う。
雨ざらしになって固くなっている木の扉を開ける。材木が散乱している。普通なら上履きで入る所だが、あえて土足で上がらせてもらう。廊下には白線が引いてあり、ここで小学生は走り回っていたりしていたのであろうと想像するには十分な風景だ。
教室に潜入。机らしきものが4、5個散らばっている。教卓もあった。ここで先生は何を教えたのであろうか。生徒は何を質問したのであろうか。ふとそういったことを考えてしまう。 隣の教室には跳び箱やマットがあった。講堂がないから体育の授業は外か、この教室で行っていたらしい。マットはもう中身のウレタンが飛び出ているし、白い布にはマジックで落書きがしてあった。
また別の部屋は宿直室か用務員室がある。ここには全教室の配電盤があり、『東芝コンデンサー』の文字が伺える。試しに漏電遮断機とブレーカーを『入』にしてレバーを引いてみたが部屋の蛍光灯はつかなかった。元のもとが切られているらしい。この部屋にはレコードプレーヤー、スピーカー、ラジオなどがあった。分校の廃止が決まってから、これらの物件は再利用されずに廃棄扱いとなったのだろうか。 校庭に出ると、端の方に高いポールが立っていた。上にはスピーカーとアンテナーが取り付けてある。また反対の方には防災支部らしい建物が立っていた。このスピーカーは防災同報無線で防災情報を流し、いつもは昼にはサイレン、夕方の6時になると阪田寛夫作詞、山本直純作曲の『夕日が背中をおしてくる』の合唱レコードが遠野の夕暮れ空と広い水田と山々に流れる(当時)。夕方、この曲を聞いたが、何とも寂しげな曲に聞こえた。夕暮れのあの寂しさが、この曲で表現されていて哀愁を漂わせる。高音が何となく震えて聞こえるので、寂しさよりもむしろ、怖さのようなものも込み上げてくる。
学校跡の校庭に置いた自転車を走らせる。過疎化されていくにつれ、こういった廃校舎も増えていくことだろう。できることならこうした木造の校舎を、後世のために保存してほしいと思ったりもする。
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