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遠野での出会い−1992[その1]
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この文章は、1992年春に私が遠野方面を旅したときの記録です。
このページでは、旅先での出来事を小話タッチでまとめて構成しています。
なお、原文が1992年当時に書かれたため、記載内容が現状と異なる点がございますのでご了承ください。
また、遠野地域についての詳細は、遠野市統合サイトをご参照下さい。

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1・1992年3月26日〜3月27日
〜夜行列車の風景〜

新宿駅5番ホーム  新宿から夜行快速『ムーンライト』号に乗った。新潟を通って村上という所まで行く列車で、新宿を23時に出れば新潟には朝の5時に着ける。
 この列車には非常にお世話になっている。東北に出かける際にこの列車を使うと、1日が有効に利用できるからだ。そのためか、春休み近くになるとなかなか座席が取れない。

 列車のドアが閉まる瞬間、階段を重い荷物を肩に掛けた女性が昇ってきた。しかし、ドアーはその女性を待たずに閉まった。新潟方面へ向かうあろう女性を置いて非情にも『ムーンライト』号は大都会新宿をゆっくり離れていく。

 車内はリクライニングシートが並び、各自が椅子を倒して眠る態勢をとっていたり、時刻表を眺めていたり、高そうな一眼レフカメラをのぞいていたりと自由に過ごしている。春休みだけあって学生、特に鉄道に詳しそうな男性が多い。所々で鉄道関係の専門用語が聞こえる

 夜の1時近くに車掌が検札に来た。私は『青春18きっぷ』という、1日限りの普通列車全線乗り放題の切符を持って今回は旅をしている。『ムーンライト』に乗ると、高崎で翌日になり、たかが新宿と高崎の間で『18きっぷ』の1日分を使ってしまうのはもったいないので、別に高崎までの乗車券を買って、車内で『18きっぷ』に日付を入れてもらうことにした。

 車掌に日付を入れてもらうように頼むと車掌は、
「夜行に乗るのがわかっているんなら前もって日付を入れといてくれよ」
と不満げに言う。そんな事を言われたのは初めてだ。少しカチンとくる。が、しっかり切符には日付と車掌の名前の印鑑が押された。検札を済ませたらあとは寝るだけだ。コートを毛布代わりにして目を閉じる。

 気がつくと長岡に着く寸前。昔はあまり眠れなかった夜行も最近では慣れて、次の日に差し支えのない程度に眠れるようになった。しかし、私は座席を倒して眠っていたのではなく、隣の席を使って横に眠っていたのだ。隣が座っていなかったからできたことだがあまりやるものではない。

 新潟に5時過ぎに着く。眠気覚ましにホームに降り立つが、まだ人ひとりいない。ここで進行方向が変わり、バックをするかのように走ってゆく。阿賀野川の鉄橋を渡り、豊栄を過ぎると車内の乗客も新宿出発の半分になった。

 6時2分、天気がまだすっきりしない坂町に降り立った。『ムーンライト』号7時間の旅はこれでおわりだが、目的地、遠野へのまだまだ遠い道のりが続く。

〜坂町駅の風景〜

坂町駅  坂町は新潟、新発田より先にある羽越本線の駅である。私が『ムーンライト』号を降り立ったのはこの駅である。次に乗る米坂線の連絡までまだ1時間もある。

 駅前には延々と続く長い道があり、奥の方で黄色信号が点滅している。車の通りもなくただ霧だけがたちこめている。街はまだ眠っているようだ。
しばらくすると犬の散歩に連れてきた軽装の男性を見る。

 駅の洗面所で洗顔を済ます。顔は何なりと洗えるが、口をすすぐのがつらい。水がいやに薬臭いのである。洗顔を済ますと駅に1人2人と乗客が姿をあらわす。キオスクのおばさんも顔を出し、売店のシャッターをけたたましい音をたてて開けていく。売店が開き始めると列車待ちの乗客が新聞や飲み物を買い始める。私も『新潟日報』を買い求め、地元のニュースを見つける。

 6時半、駅の窓口が開いた。最近、窓口の営業時間が短縮されて6時を過ぎないと開かない。私は記念にと入場券を窓口が買い求めた。窓口氏は端末を操作して切符を打ち出した。入場券は140円。私は1000円と40円を出して、お釣りを900円もらうつもりでいたが窓口の係員は、
「んな面倒なことしなくても1000円だけでいいよ」と。
こちらは少しでも計算しやすいように出した40円が、逆に余計だと言われてしまった。
 窓口氏は検算のためメモ用紙に1000ひく140とボールペンで書き出した。ところが、
960円のお釣りね
と言う。ちょっと待て、紙に書いて計算しておいて960円という数字がはじき出せるんだ
「おっと間違えた860円」
慌てて訂正して、860円のおつりをもらう。
窓口の係員、まだ眠気が残っているように思えた。

〜米坂線の風景〜

 坂町から出る米坂線に乗った。この線は飯豊山のふもとの山がちな所を通るローカル線だ。
 2両編成のディーゼルカー、キハ58形は私を乗せ、エンジンを唸らせ坂町をゆっくりと離れていく。
 ガガガというエンジンの音と振動が私の身体にも響きわたり、何とも言えぬ心地がする。沿線の民家の軒先に干してある塩引き鮭を見かけて、その地元らしい光景に心が躍ってくる。

 車内には私のほかに、行商のおばちゃんが身長と同等、あるいは体重以上の大きな荷物をかついで乗ってきている。荷物は車両のデッキにデンと居座っている。
 車窓左側に国道113号を眺めるころから霧が立ち込めてくる。次第に霧も濃くなり、視界が悪くなる。その霧の中に荒川峡が浮かぶ光景はとても幻想的だ。
 山間部に入ると積もった雪が見受けられる。私が思ったよりも量は少ないが、行商のおばちゃんは、
「まだあったね」
と窓の外を眺めながらつぶやいていた。

 沿線のダムの放水風景を眺め、トンネルに入り、鉄橋を渡り、『家庭雑誌・家の光』という看板を眺めると小国に到着。
 春休みでも部活動などで学校に出てくる高校生の姿がぱらぱら乗ってくる。私のボックスの右隣には体格の立派な男子高校生が座わり、『古文文法』の問題集をディーゼルエンジンの響く車内で解き始めた。しばらくすると、男子高校生のいるボックスに女子高校生が来た。

 すると、女子高校生はいきなり、問題を解いている男子高校生の左手とその女子高校生の右手の指を交差させ、ラグビーのスクラムを組んでいるかのように男子高校生の手を握って話しかけている。
「ねえねえ、昨日さ、ユリ・ゲラーのやってたでしょ?」
古典文法を解いているところで女子高校生が一方的に話し掛けてくる。とは言っても男子高校生はいやな顔せずに話を聞いてあげている。昨日、日本テレビ系列で放送されていたテレビ番組が面白かったらしく、今泉で降りるまで話は続いていた。
 今泉を過ぎると曇り空に太陽の薄い光がのぞかせると、次第に車窓が穏やかなに明るくなってくる。東北の春は去年よりも早そうに感じる。

〜新幹線工事中の風景〜

新幹線工事中の山形駅  米沢で奥羽本線の電車に乗り換える。いま、奥羽本線は福島と山形の間を通る、山形新幹線の工事のために以前とは比べものにならない変化を遂げている。線路の幅が広くなり、駅舎を変え、今年7月の開業と「べにばな国体」に合わせ、工事は急ピッチで進んでいる。

 私の乗ったステンレスの電車(719系5000番台)は接続待ちのため、13分遅れて発車した。この列車、遅れた分を取り返すがごとく、飛ばす飛ばす。そのわりに揺れも『コトンコトン』というレールの音もしない。さすがは新幹線が通る所だけある。途中に止まった駅には、『新幹線つばさ14往復停車実現』や『新幹線がひらく山形の未来』などの看板が、工事中の駅の後ろに据えつけられている。

 50分後、私の乗った電車は山形に到着。発車するときは10分近く遅れていた列車だが、山形に到着する時点では時間どおりに走っている。恐ろしく飛ばし屋の電車だ。新幹線用の線路だから、結構なスピードで走っても問題はないのだろう。

山形駅乗り換え通路  降り立った山形駅は、新幹線工事の影響で防護柵やネットが張られた状態だった。防護柵でできた通路をくぐりぬける。柵には「べにばな国体」のマスコットキャラクターの看板や、山形駅完成予想図のイラストの額が掲げられていたりと、新幹線、国体に新たな期待をかけている山形県民の様子が空気で伝わってくる。
 1990年の夏、夜行急行「津軽」号に乗って降り立った山形駅とは全く別の姿になろうとしている。

 私はこの変わりように感心するが、むしろ寂しさを覚えた。果たして新幹線が、べにばな国体が未来の山形をひらくのかという疑問さえ湧いてくる。この駅の構内には、かつて降り立ったときの「暖かさ」が消えてしまったように感じる。この寂しさは一体何なのだろうか、と考えながら、路地にある立ちそば屋でわかめそばをすすり、駅前の郵便局で貯金をおろした。

 新幹線の開業を大喜びしている姿を看板などで見かける一方で、新幹線や国体等の基盤整備によって壊れていくものを感じずにはいられない。

〜山寺の風景〜

山寺の風景  新幹線開業間近の山形駅から仙台へ向かう。仙山線に乗って5分もすれば、のどかな田園風景がすぐに飛び込んで来る。快速『仙山』号は『カタンカタン』とレールの音を心地よく響かせて田園地帯を走る。10分も走ると山間部に入る。そこで見えるのが山寺である。

 立派な駅舎の山寺駅は民間の委託で切符を売っている。その傍らで手荷物を預かってくれる場所がある。私の着替えなどが入ったバッグをここで預けて山寺を散策するとしよう。

 正式には立石寺(りっしゃくじ)と呼ばれるこの寺は、駅から200メートルの標高に位置する。山寺と名付けられた理由がよく分かる。登山口からいきなり急な坂を登る。初めはこのくらい大丈夫と誰でも思う。しかし、5分もすると少し胸が高まり、10分もすると背中が熱くなり、汗ばんでくる。

 そろそろ足が痛くなるかな、というところで仁王門にたどり着く。門の右側には奇妙な岩がある。岩にはところどころ自然にあいた穴がある。話を聞くと、その穴には、なぜか遺骨が置いてあるという。しかし、崖のような所にある穴にどの様にして遺骨を置いたのか。考えると結構恐ろしいものがある。

山寺から麓を眺める  まだまだ急な坂を登っていく。ここまでくると、お寺参りというよりハイキングに近くなってくる。周りの風景など見ていられなくなり、早く上に着けとばかり考えるようになる。そう考えて登りつめると、奥の院を見ても感動しなくなる。しかし山肌を眺めると野猿が走り回っているのを見ると、疲れもいつの間にか飛んでしまった。

 山の上から駅の方向を眺めると、何だか仙人になった感じがする。たった今、駅を迂回運転の特急列車「つばさ」号が通過していった。涼しい風が通り過ぎていく。少しの快感を覚える。
 登るのに1時間かかったこの山、降りるのはほんの20分近く。勢いつけて一気に降りていった。かの松尾芭蕉も出向いたこの山寺、芭蕉だったらいったいどのくらいの時間でこの山を登ったのだろうか…。
 登山口そばの茶店で、串にさした熱い『力こんにゃく』とお茶をすすりながら、春の日差しを浴びて休憩。昼下がりののどかなひとときを過ごした。

〜映画の風景〜

高瀬駅ホーム  1991年にヒットした映画、『おもひでぽろぽろ』(高畑勲監督・スタジオジブリ制作作品)を覚えているだろうか。
この作品は、ある東京のオフィスレディー(筆者注:あえてこの言葉を使う)、岡島タエ子が田舎に憧れて山形の紅花農家で農業の実習をする中、有機農法を手がける青年、トシオに出会い、自然の素晴らしさを知ってゆく話を、タエ子の小学生時代の思い出話をとりまぜながら語るアニメーション映画である(*1)。詳しくはビデオやテレビ再放送などで見ていただければ幸いである。

 さらに、この映画が公開された時に、映画館や街頭に貼ってあったポスターを覚えているだろうか。主人公が駅のホームの柱に寄り掛かって本を読んでいるポスターである。主人公、タエ子が寄り掛かっている柱には『たかせ』の文字が見える。
 私はポスターを見て「ぜひここに行ってみたい」と思った。このローカル色の強い駅が本当にあるのかと。念のため、「高瀬」という駅名を調べてみるとやはり実在した。
「仙山線か…」
そう思って半年、やっと念願がかなって、山寺へ行った帰りに寄ることができた。

駅銘板に貼り付けられた色褪せた「おもひでぽろぽろ」のシール  山寺から山形行きの普通列車に乗る。快速では通過してしまうような小さな駅なのだ。心地の良いレールの響きを聞くこと5分で念願の高瀬駅に着く。
 駅に降り立ったのは私を含め、たった3人しかいなかった。しばらく駅のホームにとどまり観察してミる。木造モルタルの駅舎やアスファルトのホーム、点字ブロックのない白線と、そして木の電柱に掲げてある『たかせ』と筆書きされたプレート。白くペンキで塗られた現在の駅舎を除いては映画『おもひで…』のような雰囲気を漂わせる。

 駅舎には木のベンチが壁に沿って置いてあり、隅っこには塵取りとほうき、乗車証明書発行器、そして、1日上下16本しか書かれていない時刻表、1時5分で止まった時計…本当に時が止まってしまったような雰囲気である。
 駅前と呼ぶに呼べない所には自転車と車が駐車してある。駅前の道をちょっと歩いて町を観察してみることにした。

 村山高瀬川が流れる脇の道を散歩する。『高瀬』と書かれた山形交通バス停には高沢行きが2本と合の原行き3本、計5本のバスしか来ない。映画のように列車が着いてすぐにバスに乗り換えることなどできる本数ではないことが、現地を実際に訪れることでわかる。
 しばらく歩くと、左手に美容室が見える。その美容室に飾ってある髪型見本のマネキンが異様な気持ち悪さをかもしだす。同じく近所の衣料品店のマネキンの顔もやけに気持ち悪かったりして、あまりの怖さに高瀬小学校前まで来て引き返した。日焼けして色褪せたマネキンは私にとって恐怖なのだ。駅への帰り道もそのマネキンに目が行ってしまい、
「夜中夢に出そうだな」
などと真剣に考えてしまう。

 高瀬駅近くの踏切の看板も恐ろしい。線路に立ち入るなと言う意味で取りつけてある子供の絵が描かれた看板には赤いペンキで子供の眼と耳に、血のしたたりが落書きしてあったりする。
 映画『おもひで…』のような牧歌的な風景を連想して駅前を訪れると、なぜかこのような風景ばかりが目に留まってしまう。ここでフィクションと現実の違いを実感する。そして、その違いは実際に行ってみて分かることの方が多い。
 実は、先ほど引き返した道をもっと進んだ場所に、映画にも描かれていたような紅花畑があるのだが…。

高瀬を通過するED78  列車の時間が近づいてきたので高瀬駅のホームに戻る。
 ホームを端から端まで歩いていると、山形方面に向かう重連の貨物列車が通過していき、さらにホームを歩くと、仙台行きの上り列車がやって来た。
 仙山線の電車に揺られながら、果たして私はこの現実を見てしまって良かったのかと思った。映画の世界のままで留めておいた方がよかったのではないか。
 先日、『おもひで…』がテレビで放送されていたが、あの映画を見るごとに、あの美容室の気持ち悪いマネキンを思い出すのだ。
 ワタシの高瀬での『おもひで』である。


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