My Trip/ 夏の終り、青森に−1991-6 / 91.8記録 99.7改版 | ||||||||
夏の終り、青森に−1991 [その6] | ||||||||
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これは、1991年の8月21日から、弘前・青森・八戸を旅した記録の続編である。蕪島を訪れたのち、灯台へ向けて歩き続ける…。 6・灯台を求めて
〜迷い道の先〜 漁師のお爺さんから、「鮫角灯台(さめかどとうだい)に行ってみるといい。歩いて15分くらいだ」と言われ、行ってみることにした。 海水浴場のサラサラとした砂を踏みしめ、目指すは鮫角灯台。階段を登って車道に出ると場違いな建物を目にした。八戸水産科学館、マリエントの建物であるが、私たちは覗くのをパスして歩き進む。 道が分からず、ガイドブックの絵地図を見ると、八戸線の線路の向こうにあると分かり、適当なところで線路を渡ろうとするが、盛土の上に線路があるのでまたげない。が、遠くを眺めると盛土を登る道があるではないか。迷わず高い草の生える踏み分け道を登って線路をまたぐ。ここは通る人がかなりいるらしく、またごうとした時、『列車に気をつけて下さい』と書かれた札が目に入った。 線路を通り越すと延々と砂利道が続く。本当にこんな所を通るのか。洗濯物を干していたおばさんに尋ねると、「ここを通っても行ける」とのこと。とは言っても通り掛かる人はいないし、灯台の『と』の字も見えてこない。 十分くらい歩いたか、雇用者保養センターの建物を見ると向こうに『鮫角灯台入口』の文字が見えた。『入口』の看板は山道のそばに置いてあったから迷わず山道をゆく。これも保養センターの敷地内で施設の案内があるが、肝心の灯台が見えない。頂上にはアンテナの櫓(やぐら)が立っているだけ。 「まさかこれが灯台っていうことないよね」 『これより先車両立入禁止』と書かれた札を眺め、青い夏空でやけに白さが際立つ灯台へ一歩一歩近づく。 帰り、住居地区を歩いていると、先程の漁師のお爺さんの姿を見た。まさか、またお会いできるとは思いもしない出来事だ。もう一度お礼を言って再び歩き出す。途中、道の傍らにあった安協鮫支部の交通安全看板を眺め、その古典的センスでIさんと談笑が続く。その看板にはこうあった。 そろそろ腹が空いてきた。何か腹に入れたいが、入りたいと思う店がない。いずれの店も中華そば屋で、選択の余地がない。とにかく一軒入ってチャーシュー麺を食べたが、うまくもないしまずくもない。どうもこちらの食堂はラーメンがうまくない。昨日もはずれた。今回、昼食をとってうまいと思ったのは青森駅前の帆立の刺身定食だけだったのか。 鮫に戻り二両編成のディーゼルカーは信号機のプロトタイプともいえるタブレットを上下列車ともに交換し、八戸を目指しエンジンを唸らす。帰りも中高生らで満席。本八戸で大半が降り、やっと座れた。 『そんなはずはないですが…』と記号説明の下にある『行政区画』の欄を見ていると、思わぬ発見をした。画面上部の寸法と下部の寸法が違う。一ミリほど寸法のずれがあったのだ。丸い地球を平面で表わすと、上方向への緯度が高くにつれて誤差が出てくる。中学の地理で勉強した「メルカトル図法」を思い出す。 Iさんとは向山で別れる。この先、北海道へ渡るのだという。今の時間は15時半。YHに着くのが早すぎた。 私が驚いたのは、アメリカ軍の車が置いてある所に『この敷地に入ると不法侵入罪で処罰されます』の看板が。これはまずい。ここに入ったために連行されるのは御免だ。すみやかに退散する。引き返しつつ林を走っていると、昼間でも真っ暗な場所に潜り込む。道の両脇には高さ70センチのシダが群生して恐ろしい。2時間ほど走れば汗が噴き出してくる。このあとに入る露天風呂も何とも格別である。思わず足を高く上げていたら、他の客が入ってきて赤面した。今日で露天風呂に入るのは最後なので思う存分つかってみる。 YHでは、私が「七戸第2中央」バス停から降りたものの、駅が分からず乗るのを断念した南部縦貫鉄道に乗ったという方がいたので話してみた。乗っての感想は『揺れる』に尽きるという。バネがきいておらずレールのデコボコが直接体に響くのだという。乗車記念にテレホンカードと切符だけでなく、車体塗装の剥げた部分をはがしてものも持ってきたという。実物を見せてもらったが、朱色地に白色で@(1エンド標記)と書いてある部分を失敬したらしい。 今日は随分と色々な体験をした。イラコの味は今でも口に残るものがある。漁師のお爺さんの言葉も忘れられない。Iさんと灯台まで歩いたことも地図の疑問も、この旅に出ていなかったら絶対に歩けなかったし、地図について知ることも出来なかっただろう。 さて、夜も更けた。明日も早いから寝るとするか。 −脚注− ●おことわり
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