My Trip/ 夏の終り、青森に−1991-4 / 91.8記録 99.7改版 | ||||||||
夏の終り、青森に−1991 [その4] | ||||||||
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これは、1991年の8月21日から、弘前・青森・八戸を旅した記録の続編である。旅の3日目、孤独をかみしめて歩く…。 4・淋しい町
〜向山の朝〜 朝七時、まだ寝たりない。朝食が始まるので食堂に集まる。朝食はスクランブルエッグとスパゲティーと野菜を炒めて醤油味付にしたものとサラダ、そしてパンがつくこの朝食は結構人気があるという。朝食では搾りたての牛乳が飲め、朝、搾りたてを加熱殺菌したものがポットに入れてあり何杯でも飲んでいい。濃くて甘味が少ないのが特徴だ。 食後、急ぎ足でYHを出ていった人が多かった。聞いてみると、青森行きの8時7分の列車に乗るために急いでいるとのこと。これに乗り遅れると次は9時39分の三沢行き。青森行きは9時58分にならないと来ない。これなら急ぐはずだ。 YHに残っているのは私を含めて三人。昨日知り合ったある人は、今日はここで昼寝をしているという。私も列車が来るまでかなり時間があるので、同宿の人を誘ってその辺を散歩することにした。 YHの周りは牧場だから牧草が一面に生えている。その上を歩くのは気分がいい。草原の周りには何もなく、遠くに雑木林とトウモロコシ畑が見える。 YHから歩くこと10数分で向山駅に到着した。向山は無人駅になっていると聞いたが、駅舎へ行くと委託を受けたお婆さんがいるではないか。それも一人だけでなく、何人のもお婆さんがダベっていたり、ポータブルミシンを持ち込んでいたりと、駅舎を憩いの場にしているようだ。記念と思い入場券を買おうとしたら、委託駅なのでないとのこと。隣の三沢までの切符を買うと、回数券のようなペラ券。鋏を入れるときに切符と改札バサミの間に新聞の折り込みチラシを挟んでいたのには笑えた。ペラペラなのできっぷだけでは切れないのだろう。 間もなく2番線に列車がまいります、間もなく2番線…おさがりください…と同じアナウンスがしつこく流れる。10回位流したところで6両編成の特急「はつかり」号が人を吹き飛ばしそうな位の速さで通過していった。 切符を買おうと窓口で千円札を出したら「自動でお願いします」と係員。そばに切符の収納棚があるのだから売ればいいのにと思いつつ券売機へ。しかし、いくら千円札を入れてもガガーッと言って戻ってきてしまう。結局、窓口で硬券(ボール紙などの厚紙を材質にした切符)を買う。初めから売っていればそんな手間を掛けずに済んだのだが…。 十和田市行きの電車は走り出すとなつかしいグワワーンと腹の底から響くモーターの音をさせる。この一両の電車は畑や草っ原、田んぼの中を走ってゆく。車内の銘板を見たら「昭和三〇年帝国車両」とある。その割にはシートや内装が汚くないので、時々修繕をしているのだろう。車内の吊り革がプラプラと規則正しく左右に揺れる。私も揺れる。約30分の地方私鉄の旅は終わって十和田市駅に到着。 この十和田市駅、終着駅の雰囲気というものは全くない。昭和60年にとおてつデパートと合体して、いわゆる「駅ビル」に生まれ変わっている。駅ホームの先には電車の車庫があるが、こちらの方が終着駅の雰囲気があっていい。降りたらいやが応でもデパートの中を覗くこととなる。1階に降りると、バスターミナルがあり、十和田湖や青森行き、市内線などが10分に1本位の割合で発車している。発車案内を見たら、新型の電光表示板。『市』を思わせる造りだ。 バスの時間待ちの間、土産物屋で『デーリー東北』を買う。ソ連情勢は共産党の改革を断行する事になった。地元の話題では、26日から三沢基地で軍用訓練をするとある。騒音がまた問題になるのだろうか。さらに紙面をめくると投書欄を目にする。何か面白い投書はないかと探してみる。あったあった。 三本木営業所行きの十和田観光電鉄(十鉄)バスは一昔前の観光型でリクライニングシートが並ぶ。八分くらい席が埋まっており、適当に席を見つけて乗る。発車すると急加速を始め、怖くなる。昔の観光バス特有の船のようなゆらゆらする揺れが体に伝わる。シートを傾けようとするが、周りが知ってか知らないか席を倒していないのでやめ。数分もしないで十和田市中央停留所に着く。 ここから5千円札の肖像でおなじみの新渡戸稲造の記念館に向かう。大通りに大きな案内があり、そちらの方向に進む。大通りからはずれ、小道に入ると何か変なにおい。今日は生ごみの日らしく、収集したあとのしずくがアスファルトにしみ込んで異様な匂いを発している。もう少し歩くと左に十和田スバル座という映画館。何をやっているのか見たら驚いた。 「痴漢深く浅く」、「朝まで生いじり」。タイトルを書くまでもなく成人映画である。 昼食は近所の薄暗い食堂で中華そばを食べるが、どういうわけだか味がない。市販されている生ラーメンみたいな味で、具も味に比例して少ない。これは失敗したと思いつつ店を出た。 しかし、この十和田市内、人っこひとり見かけない。土曜日ということもあるのか、市役所前の通りも歩いているのは私一人。何か心細い。市役所のそばにある広場にD51型蒸気機関車が柵もなしに保存してある。塗装がきれいなので、時々修繕しているように見える。 七戸第二中央というあまり面白味のないバス停から歩き出す。ここから元祖レールバスの南部縦貫鉄道に乗るためだ。けれど歩いても駅らしき建物がない。人らしき人もいないから道も聞けないし案内板もない。変な所で降りてしまった。これ以上歩くと疲労も重なってくる。泣く泣くレールバスを断念せざるを得なくなった。今になってものすごく後悔している。なぜか今日はこのような淋しげな町を歩く。 野辺地中央バス停から歩くこと十分。野辺地駅の駅舎が見える。ここにくると人も多くほっとする。あまり多いのもイヤだが、極端に少ないのも好きではない。そう思うたびに人間とはつくづく勝手なものだと感じる。時間調整のため、青森行きの快速『うそり』をつかまえることにする。 YHの露天風呂にひたり一息つく。今日はなんて淋しい町へ行ったのだろうと思うのと同時にオフシーズンに小さい町へ行くのはよそう、と一瞬だけ感じた。 「はじめはやっぱり子供を出そうか出さないか考えましたね。で、変な心配をしてしまうんです。事故があったら、知らない人に声を掛けられてついていったら…。でも、無事に帰ってくる子供を見ると何かひとつ大人になったような気がするんです。その時がいちばん嬉しいですね」小学生のお母さんは言う。 「私も初めて一人で出掛けた時はいろいろ細かく計画を立てたんですね。時間なんて一分単位で立ててましたよ。でも、一回ひとりで行くともう一回行きたくなりますね。今なんて泊まる所だけ決めて出掛けるんです。それで特に観光地という所だけ行くんじゃなくて観光地でも裏通りとか通ってみるんです。すると地元の生活がジワッと出ている所なんていうのを発見するんです。それが一番面白い。ある人が言っていましたが、『観光地だけを回るのは“旅行”であって“旅”ではない』って…」 私は弘前での出来事にちょっと味を付けて話してみた。するといつの間にか話に力が入ってない事まで喋ってしまった。話というのは勢いがつくと我を忘れてバーッと話せるものなのだ。
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