09月29日 いまここにある不安とその空気穴
さきの衆議院議員総選挙で「若年無党派層」が与党第一党への投票行動に大きく貢献したとメディアで大きく取り上げられています。
これらの言説を読んだところ「自分自身の漠然とした不安を大きな、あるいは強い存在に委ねる意識が働いている」という分析がなされており強い興味を持ちました。
なるほど、「溺れる者は藁をもつかむ」とはこういうことを言うのかと納得しつつも、それではどのようなプロセスで人々が動かされるのか、と疑問に持ちました。
私も「若年無党派層」と同年代にいる人間です。しかし、言説にあるような行動形態に批判的です。どのような違いがあるのだろうかと考えます。
そこで、自分自身が今までに見聞きし、体験してきたできごとを糸口にして考えを導くためのメモを以下に記していきたいと思います。
煽られ、強迫される「個性」
1970年代〜1980年代の「詰め込み、偏差値輪切り」教育
↓ 業者テスト廃止・18歳人口減少期
1990年代の「個性を伸ばせ」教育
↓ 生徒数減少
2000年初頭の「ゆとり」教育
「一芸一能」+「やればできる」+「夢は叶う」
=個性を煽る存在=夢を煽る人々
│ ├ 生徒減に悩む教育産業経営筋
│ └ トンビに鷹を産ませたい親
│ └ 勘違いの「夢」の増産
個性を持たなければならないという不安(不安要素1)
オンリーワンな個性を見い出だし、夢を実現すること=自己実現
オンリーワンな個性を見い出だし、夢を実現すること=学習評価
「夢を実現すること=労働」という幻想
↓
単純労働=自分の仮の姿・夢の途中・モラトリアム
バブル期の「フリーター」を支えた考え方
↓
バブル崩壊による誤算
個性とは定められた枠内で、枠内の許容する範囲でのみ機能する
会社という枠 ⇔ 個人の能力
学校という枠 ⇔ 個人の能力
χ という枠 ⇔ 個人の能力
→枠内で機能するには、「型」が必要となる
→「枠」の許容範囲外にある個性は個性ではなく、不協和音になる。
個性難民の発生
◆枠からはみ出された人々
会社の「枠」の狭さ、学校の「枠」の狭さ → 現行社会の「枠」の狭さ
├ 許容範囲の狭い人々 ⇔ 許容範囲を学習しない人々
├ 異質扱いされて次々に「枠」から追い出される
├ 「異質・枠外=個性」 → 勘違いの上乗せ → 「働いたら負け」的発想
│
「枠」探し = 自分探し
│ ├「受け入れてもらう」ではなく、「受け入れてくれる」存在探し
│ └「受け入れてくれるの?」の不安(不安要素2)
│
枠からはみ出された「個性難民」の発生
◆「枠」の細分化
「個性難民」の受け入れ先
├ 逸脱 → ヤンキー → 社会と離れる →裏社会に居場所を求める
│ └──裏社会=現行社会の一つ
│
├ 小逸脱 → 趣味・新宗教…
│ ├ 「枠」の細分化
│ ├ 「枠」のサイクルの速さ
│ └ 「枠」を作れる人、作れない人
│
├ 胎内逆戻り → 「枠」を家の中・部屋の中に求める
│ └引きこもり・パラサイト etc...
├ ネットの登場 → 新たな「枠」の創造 → 自己実現へ
│ │ │ ↓×
│ │ └──────お手軽な「プチ逸脱」
│ ├ 「枠」の細分化
│ ├ 「枠」のサイクルの速さ → 流動性
│ ├ 「枠」を作れる人、作れない人
│ │
現行社会の「枠」でうまくやっている人々
VS
「個性難民」
個性難民の破壊願望と破壊対象
◆個性難民は強い破壊願望を持つ
破壊動力に強い不安を抱きつつも(不安要素3)、破壊動力によって破壊されることを望む
破壊動力 = 事件、事故、地震、台風、戦争、スキャンダル etc...
破壊動力 = でかい一発
個性難民の原動力 = ひがみ、嫉妬、コンプレックス
◆破壊したいものはなに?
1.「夢」を奪った存在
2.「個性」を受け入れなかった存在
3.「夢」や「個性」を煽った存在
├ その「存在」に対して具体的なものはない
├ 観念としての「存在」を破壊したい
├ 具体性を持ち得ない → 様々な要素の蓄積 = 積年の大怨
│
現行社会の狭い「枠」の破壊
↓
◆「枠」の破壊願望
極私的・些細な不満が晴れないまま積もっていく「小さな怨念の蓄積」
蓄積された鬱憤・怨念を分析・分解することの不安と恐怖(不安要素4)
├ 個 VS 個のタイマンが張れない
│ ├「個」が帰属する「枠」に対する怨念に変わる
│ │(先生が憎い → 教員組合が憎い → 教育システムが憎い)
│ │(上司が憎い → 企業が憎い → 製品・サービスが憎い)
│ │(実力のないタレントが売れているのが憎い → 韓流が憎い)
│ 怨念の対象がズレる → ズレたものに攻撃 → 不満が晴れない
│
「枠」単位による破壊を願望
現行の「枠」の破壊 & 創出された「枠」、細分化された「枠」の保護
技法のない「個性難民」
◆「枠」の変え方、広げ方を知らない、わからない
「具体的に闘う」ことの回避と逃避と疑念
│ ├ 親の世代の学生運動・労働運動の失敗
│ ├ 暴力の回避と逃避、そして否定
│ ├ 論争の回避と逃避、そして否定
│ 腕のケンカ・言葉のケンカの回避と逃避、そして否定
│
「自己の闘い」のリアリズムの欠如
│ ├ 観念としての兵器、観念としての戦闘
│ ├ ヴァーチャルな暴力とヴァーチャルな論争
│ ├ 不毛な暴力と不毛な論争のリピート
│ └ 現実へのリアリズム欠如 ⇔ 仮想架空へのリアリティ追求
│
「自己の闘い」の諦め → 「争ったところで何になるの?」しない諦め、できない諦め
「より上の存在」に委ねる傾向 → 権力による庇護を求める
└破壊支援としての政治参加
狭く小さい「枠」の量産 → 狭い枠の中で悶々と小競合いを続ける
「枠」の変え方、広げ方が分からない → だから壊す、という発想
「個性難民」による破壊支援活動で得たいものとは?
既得権益 → 結局、現行と変わりない
破壊後の再生 →自分自身で再生する考えがない
└「より上の存在」に委ねる傾向
「個性難民」の「個性」とは → 創造と再生のためには用いられない
→ 自尊心の充足のみに用いられる
安易な逃避をする「個性難民」
◆不安要素のまとめ
・個性を持たなければならないという不安(不安要素1)
・自分を受け入れてくれるのかという不安(不安要素2)
・破壊動力に対する不安(不安要素3)
・蓄積された鬱憤・怨念を分解、分析することの不安(不安要素4)
◆不安要素に対する個性難民の現状
1.強い選民意識 & 模倣・劣化コピーに過ぎない横並びとの葛藤
2.他者に保護されることを望み、寄生・依存するパラサイト コミュニケーション
3.経済的、教養的、能力的備えと蓄えの欠如
4.分析のズレから生じる被害者意識の自己増幅、怒りの対象のズレ、無責任性
「個性難民」の救済に向けて
1.既存の枠に組入れるのは誤り
2.昭和ヒトケタ世代・団塊の世代による「経済的・文化的不良債権」の処理