最近のイチ押し ダメ出し / No.1065 / 2001.7更新 | |||
最近のイチ押し ダメ出し 1065 想像力の欠けた教科書 ほか |
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猛暑の日々。 7月26日 栃木県各地の教育委員会が採択に「NO」をつけた「新しい歴史教科書」。問題になっている市販本を実際に読んでみてふと思ったことがあります。 執筆陣は「個々の記述を重箱の隅を突いてはあら捜しをしている、全体の流れを読んでほしい」と仰せられるので、その通りに読んでみました。それでも、執筆者はきっと自分の主張を押し通すことに専念されたのでしょう、検定にパスするために細部の記述にこだわった形跡が文章の端々に見ることができました。 しかし、それゆえに失っている部分もあるように思います。本全体ににじみ出ているのは近隣諸国を一段下に置いて自国の優位性を保とうとする視点です。人はそれを「他虐的」と言いますが…。「自虐がだめなら他虐だ」、これで「日本人が誇りの持てる歴史教育」ができるでしょうか。 さらに読み進めていくと、この「一段下に置いて」の視点が、同じ日本人に対しても向けられていることに気づきます。自衛のため、侵略のため、議論は続いていますが、いずれにせよ戦争に臨んだ、巻き込まれた人たちが、 エリート的発想なのか、執筆者の「俺たちはお前ら大衆と違うんだよ」という態度がこうした記述から垣間見ることができます。思わず「何様なんだ、お前」と突っ込みを入れたくなります。 そして、デザイン、レイアウトといった「表現」の部分においても配慮が欠けていると思わずにはいられません。筆者は敢えてこの部分を強調したいと思います。 今回の検定済み教科書で勉強する生徒は、すでに生まれたときからテレビやコンピュータゲームに囲まれた中で暮らす世代です。文字よりもビジュアルで直感的に認識することに長けた人たちです。 教科書出版社はこうした生徒のことを考えたのでしょう。まるで雑誌を読んでいるかのように、全ページに渡って写真やグラフィックスを多用し、視覚から教科単元に対して興味が持てるような編集がなされています。A4判の大型判型、フルカラーで構成されているものあります。日本の教科書を見ていると、デザインと印刷技術の高さがよく理解できます。 しかし「新しい…」は趣向が異なります。なによりも執筆者の主張が先行するので、生徒に分かりやすく伝える、興味を惹かせる工夫は後回しです。読みやすさよりも「執筆者の文章をいかに削らないで掲載するか」を追求した行間が狭く、天地余白の少ないレイアウトには息苦しさを感じます。また、311ページ「日本の高い技術力」とキャプションをつけて掲載している「ブラウン管の角が妙に丸いボタン式テレビ」や、年表8ページにある「フォークギターが部屋の奥に見える『現代の家族』」など、現代を語るのに何年前の写真を使っているのか、と思わずにはいられない時代性の乖離した資料写真もあります。数多くのベストセラーを出している出版社の成果物であることが疑わしいとさえ思えます。 確かに、市販本の売れ行きは好調です。「分かりやすく書いてあるよ」と仰る方もたくさんいます。しかし、そう仰る方はきっと、遠い昔に教科書で勉強していた記憶があるからなのかもしれません。すでに学習している既知のことがらについて文章化されたものを改めて読んでいるから「理解できた」と仰っていることも考えられます。 実は、この「新しい…教科書」、教科書として発行しなくとも、教育委員会から採択されなくとも、執筆者や出版社にとっては痛くも痒くもないことは記憶にとどめておきたいところです。執筆者へのギャランティはありますし、マスコミが騒げば騒ぐほど執筆者の名前は知れ渡り、市販本も売れます。出版社も市販本で回収できるわけです。 人はそれを「節操がない」と言います。それこそまさしく、一部の日本人が忘れかけているものではないでしょうか。 7月11日 昨日の朝日新聞の社説に載っていたくだり。 このような書き込みをする人というのは大体相場が決まっているものです。 定期入れに飾っているうちが「幸せ…」なのだと思います。次第に鬼の顔に見えてくるはずです。あとになって「痛みに耐えられない(;´д`) 」なんて顔文字つきで言うのはナシです。 「本当に怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる…」 7月6日 小手先ばかりの好感度アップ作戦をやっても無駄です。 誰を撮るの? 何を撮るの? その前に議席を「獲られる」かもしれないですね。暴漢には気をつけてください。 さっそく率先して「痛みに耐えて」いますね。 |
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