2000年5月8日 西鉄バスジャック事件に思う
豊川の主婦殺害事件、西鉄バスジャック事件と相次いで17歳の少年が惨状を生み出しました。1989年に起きた埼玉の幼女連続誘拐殺人の犯人は逮捕時27歳、柏崎監禁事件の被疑者は37歳。末尾に「7」が付く年齢を「厄年」にした方がいいのではないかと思うくらいです。身体的発達、精神的発達が変化しているにも関わらず、相変わらず厄年(大厄)が24歳と42歳というのは何か別な意味があるのでしょうか。
さて、この事件を機に再び少年法改正の議論が挙がってきています。ここまで重大事件になると、もはや検察の出番になってしまうのは止むを得ないかもしれません。が、厳罰を科す点についてはどれだけ犯罪抑止効果があるか疑問です。
新聞や雑誌上での情報に限られますが、最近の少年事件の被疑者供述を読んでいると、罪に対する罪悪感どころか、本人の「生」に対する執着が感じられないように思います。自分の「生」に対する執着がなければ、他人の「生」を認識し尊重することは難しいのではないでしょうか。こんなところで厳罰を科しても本人は改悛すらしてくれないでしょう。
または、あまりにも「生」に対する執着があり過ぎて、自己の存在を認めさせるがあまりに他者の「生」を排除してしまったか…。いずれにしても決定的な治療方法、予防方法が見つかっていないのがつらいところです。
ただ、一ついえるのは、「怒りの発散方法を知らない人たち」が最近増えつつあることです。
2000年5月8日 デヴィ夫人の姓名判断
TBS系列の「エクスプレス」で放送している、芸能人の姓名判断コーナーは本当に意味があるのか、甚だ疑問です。苗字と本名の字画数を取り出しては「これからいい出逢いがあるかもしれませんね」などともっともらしくのたまわっている姓名判断センセイを見るたびに、眉毛に唾をつけたくなります。
姓名判断は芸名ではなく本名でなければ正しい結果は出ないのではないか、という疑問がまずあります。もっとも、芸名ひとつでギャラのケタが違ってくるとすれば、芸名にこだわるのも分かります。しかしそれはショウビジネスでの話。私生活となればやはり本名が先立つはずです。ですから、芸名で私生活上に関連する結婚運を判断することにどれだけの意味があるのかを疑うわけです。
加えて、芸名でも本名でもない名称を姓名判断に使用することへの疑問があります。「エクスプレス」でこの方の姓名判断をしていました。
デヴィ夫人
日本名もあり、インドネシア名もあるこの方ですが、デヴィ夫人というのは、あくまでも長ぁいインドネシア名を省略した「通称」です。番組ではこの「通称」を用いて姓名判断をしていました。しかし、判断の結果を「総画が何たらですから」と自信あり気に話していたときは、思わず笑いに伏してしまいました。何せ苗字が「デヴィ」、名が「夫人」で判断していたわけですから。
近頃、姓名判断が流行っていますが、この番組の姓名判断コーナーは根本的なところで誤っているように思います。