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 絶望、失望、そして…〜フリーター漂流視聴記〜

02月08日

 純度の高いシンナーをマスクも手袋もなく調合する姿、ゴーグルもせずに近紫外線ブラックライトの下で基盤に絶縁剤を黙々と塗り続ける姿、時給は900円で手取りは僅か6万円…。

 2月5日土曜日放送のNHKスペシャル「フリーター漂流〜モノ作りの現場で〜」を見ている最中に湧き上がる陰鬱感は、視聴後しばらく残りました。ここまで後味の悪いドキュメントを見るのは久しぶりです。

 番組では、携帯電話の部品(基盤)を製造するメーカーに業務請負会社を経由して派遣される若い労働者の勤務実態を克明に映し出していました。
 コスト削減のために安い労働力を求めるメーカー、顧客(企業)のニーズに応じるため、労働者に支払う給与を抑えながらも、ビジュアル重視のプロモーションビデオで労働者を集める業務請負会社、そして安い賃金と知りながらも生活のために働く「フリーター」と呼ばれる若者…。

 しかし、こうした構造の背景に、下請け会社に安いコストで製造させる大企業、そして製品を買い続ける消費者がいることを忘れてはなりません。
 直截的な言及を避けつつも、根本的問題に大企業と消費者・消費社会があることを考えさせられる作りに仕上がっている点は評価できるところです。

 さて、この文面で数回ほどフリーターということばを使いましたが、このことば、どうも世間一般では誤解されているようです。

 おそらくバブル時代に出現したことばだからだと思いますが、「カネがなくなったら適当に働いて、カネがたまったら遊びに使う」、「仕事に対するモチベーションが低く、実現不可能な夢想ばかりしている」というイメージを抱く方が多いのではないかと思います。
 現実はバブル崩壊ですでに過去帳入りしているにもかかわらず、未だにひと昔前のイメージが尾を引いて現在に生き続けています。

 一方、使用者側はどうでしょうか。「目先の利益やコスト削減のため、必要なときに安い費用で補充し、不要となれば簡単に切り捨てる『消耗部品』」という認識でフリーターをとらえているのは、バブル以来変わっていないどころか、この不況によって強化されているのではないでしょうか。

 バブルの頃の、「適当に働いて、仕事に対する執着がない」と「必要なときに雇って、不要になれば切る」という、労働者と使用者の関係がある程度のバランスと妥協を持てた時代とは異なり、不況が続き仕事を選ぶことさえ難しくなると、そして海外との価格競争に追われると、圧倒的に使用者の力関係の方が強くなり、バランスを著しく崩してしまっているのが現在です。

スキルを身につけたいと望む労働者 ⇔ 単純作業ができればいいと望む使用者
生活に必要な給料を得たいと望む労働者 ⇔ 人件費を徹底的に抑えたい使用者
自己実現 < 自己実現

 10年前のフリーター像を「いま」に当てはめることはできません。イメージにとらわれず、いまある事実を見なければなりません。

*        *

 番組で紹介された請負現場で働くフリーターたちの姿をもう少し観察してみたいと思います。
 番組ではさまざまな姿のフリーターを映し出していました。それはカタカナ5文字でひと括りにできるものではなく、個々のケースをよく観察した上で問題を考えていく必要があるように思いました。
 私は番組内で3人のケースを見ることができました。

 1.学校卒業後、就職機会を失って社会人経験のない人。
 2.仕事を転々としているため、スキルが不足している人。
 3.仕事を転々としているが、経験を活かしてリーダー的存在になっている人。

1.は、いわゆる「ニート(Not in Employment, Education or Training)」の状態で、働いてもわずか数日で辞めてしまうことも多々あるといわれています。
 ニートを生み出す状況はさまざまありますが、やはり学歴の壁が大きいと考えられます。40年前のように、中卒で集団就職して技能を身につける機会は現在の若者には皆無で、高等学校を卒業していないと就職することすら困難な状態にあります。

 ニートというと、「働いたら負けかなと思っている」という言葉に代表されるように、社会に出て自活することを否定し、いつまでも親の経済機構に寄生することを良しとする若者のイメージがありますが、これは日本国内だけで通じるニート観であることは理解しておく必要があります。

 が、見方を変えれば「就職する」いや「社会生活を営む」という選択肢を「制度的に」そして「環境的に」奪われたことを否定したいがために「自ら選んだように」突っ張らざるをえない状況に追い込まれた存在ではないかと考えられます。

 雇用する側が年齢や学歴に固執するあまり、それにあぶれた人たちは学歴や技能を問わない単純労働しか受け皿がなく、こうした労働市場の不安定さと労働環境の劣悪さが働く意欲を削いでいるために「働くこと=負け」の意識を増幅させてしまっているわけです。「希望格差」よりもむしろ「希望閉塞」の状態です。

 過酷な仕事を辞めて帰郷したフリーターとその親が会話をする場面に、現在の閉塞感を垣間見ることができます。
 親が「いやだと思っても我慢していれば、いつか上司が認めてくれる」と仕事にとどまることを説得しても、そのことばはフリーターには全く効力を失っています。終身雇用時代のサラリーマン的図式を当てはめても、使用者から消耗品扱いされ、簡単に雇用が打ち切られる立場にいるフリーターには「我慢の先」に何もないことを身をもって認識しているのです。まったく会話がかみ合っていません。

 励ましのつもりで掛けた親のことばが、逆に子供を苦しめてしまっていると言えます。さらに、苦しんでいる子供に大変だろうからと一時的に衣食住の援助をするわけですが、それが長期化すると、一度芽生えた子供の自活性を摘み取ってしまい、いつまでも悪循環が続くわけです。

 職業訓練の機会や社会活動の機会を持たせることもたしかに急務ですが、それだけでは根本的な対策にはなりません。
 ニート対策で一番重要なのは「若者を「親の価値観による呪縛」から解放させること」です。

2.は、初めて就職した仕事に失敗してもやり直せる機会に恵まれていないという現状があります。いわゆる敗者復活のチャンスです。
 終身雇用制が崩れたいま、転職することは珍しいことではありません。ただ、転職するということは「前職のスキルを転職先で活かす」ことが前提になっています。スキルがある人はより条件に似合った会社を選ぶことができるけれども、スキルのレベルが不足している人は選択肢が極端に狭くなっていきます。

 特に、新卒で就職して1、2年で退職してしまい再度就職活動を始める「第二新卒」は、専門知識や技能を身につける期間が少ないため、どうしても再就職先の業務内容が限られます。あと30数年以上も働く時間があるのならば、最初の1、2年など気にするものではないと私は考えてしまうのですが、世間にはまだまだ厳しい眼で見られるのが現実です。

 この場合、スキル不足をどのように補っていくのかが課題になります。もっとも「何をもってスキルと呼ぶのか」は多々考え方があるにもかかわらず、まだまだ固定的な考え方で個々の職務能力をとらえてしまう傾向にあります。

3.のように、リーダー的役割を持ち、他の業務担当者に指示を出したり、業務の進捗状況を把握して行動できる人は、どのような仕事においても役立つスキルのはずです。さまざまな経験も持っていますが、ただひとつ「フリーター」という理由で階下に見られ、その能力が安売りされてしまいます。

 「複数のアルバイトを経験しても役立たない」、これも固定的な考え方で個々の職務能力をとらえていると言えるのではないでしょうか。適切なスキルアップと仕事の機会が与えられればいくらでも伸びる可能性を「フリーターだから」、「年齢がオーバーしているから」で摘んでしまうのは、雇用が流動化し、就労者人口が減少に向かう中で、長い眼で見ると非常に損をしているのではないかと考えます。

 最後に、番組で取り上げられた3人以外にもさまざまなケースがあることを忘れてはならないと思います。ベルトコンベアに向かって無表情で黙々と作業するフリーターの眼は死んだ魚のようでした。
 実はこうした「番組で取り上げられなかった実態」の中に、もっと深刻な問題が潜んでいるのではないかと思いました。

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