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 想像力の欠けた教科書 ほか
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 猛暑の日々。
 いわゆる「小泉フィーバー」が続いていますが、中には政治への関心がハナからない方々までもがその人気に便乗していることもあります。意味もなく「純ちゃん!」と声高に叫ぶ方々は、いったい「改革」の中身をどこまで存じているのでしょうか。

 その一方で、自分自身に誇れるものがないからと、国家や民族、郷土の英雄を誇りにすることのみに専念して、他国への想像力、そして学習する立場の想像力を欠いた教科書が採択されようとしています。

 このような季節の中で行われた参議院選挙は自民党が圧勝。日本はいったいどうなっていくのか…。

7月26日

 栃木県各地の教育委員会が採択に「NO」をつけた「新しい歴史教科書」。問題になっている市販本を実際に読んでみてふと思ったことがあります。
 果たしてこの本は「中学生向けの教科書として本当に書かれたものなのか」、と。さらに歴史観以前の問題がこの教科書にはあるのではないかと考えたわけです。

 執筆陣は「個々の記述を重箱の隅を突いてはあら捜しをしている、全体の流れを読んでほしい」と仰せられるので、その通りに読んでみました。それでも、執筆者はきっと自分の主張を押し通すことに専念されたのでしょう、検定にパスするために細部の記述にこだわった形跡が文章の端々に見ることができました。

 しかし、それゆえに失っている部分もあるように思います。本全体ににじみ出ているのは近隣諸国を一段下に置いて自国の優位性を保とうとする視点です。人はそれを「他虐的」と言いますが…。「自虐がだめなら他虐だ」、これで「日本人が誇りの持てる歴史教育」ができるでしょうか。
 「自殺がだめなら他殺だ」と自己愛と現実否定から端を発するさまざまな猟奇的事件の精神病理と似たものを感じます。

 さらに読み進めていくと、この「一段下に置いて」の視点が、同じ日本人に対しても向けられていることに気づきます。自衛のため、侵略のため、議論は続いていますが、いずれにせよ戦争に臨んだ、巻き込まれた人たちが、
「このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った」(286ページ)
などという言葉で片付けられています。こうした言葉は、さきの時代に、実際に戦地で闘い、物資難、食糧難の中で働いた方々しか言ってはならないと思います。

 エリート的発想なのか、執筆者の「俺たちはお前ら大衆と違うんだよ」という態度がこうした記述から垣間見ることができます。思わず「何様なんだ、お前」と突っ込みを入れたくなります。
 相撲の取り組みに対して「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」とコメントするのと話題のレベルが大きく異なるのです。

 そして、デザイン、レイアウトといった「表現」の部分においても配慮が欠けていると思わずにはいられません。筆者は敢えてこの部分を強調したいと思います。
 筆者は教科書展示会に出かけ、歴史に問わずさまざまな他社の教科書を読んだり、見たりしました。ここで気づいた点は「見せ方」、「読ませ方」に対する工夫です。

 今回の検定済み教科書で勉強する生徒は、すでに生まれたときからテレビやコンピュータゲームに囲まれた中で暮らす世代です。文字よりもビジュアルで直感的に認識することに長けた人たちです。

 教科書出版社はこうした生徒のことを考えたのでしょう。まるで雑誌を読んでいるかのように、全ページに渡って写真やグラフィックスを多用し、視覚から教科単元に対して興味が持てるような編集がなされています。A4判の大型判型、フルカラーで構成されているものあります。日本の教科書を見ていると、デザインと印刷技術の高さがよく理解できます。
 学級崩壊、学力低下が叫ばれる中、ビジュアル世代が教科学習の始まりの「教科書」でつまづかないためにさまざまな工夫を凝らしていることが分かりました。これを「ニーズに合わせた」と捉えるか、「子供に迎合し過ぎだ」と捉えるか賛否は分かれますが、「どうしたら分かりやすく教えることができるか」を常に問うているのは確かです。

 しかし「新しい…」は趣向が異なります。なによりも執筆者の主張が先行するので、生徒に分かりやすく伝える、興味を惹かせる工夫は後回しです。読みやすさよりも「執筆者の文章をいかに削らないで掲載するか」を追求した行間が狭く、天地余白の少ないレイアウトには息苦しさを感じます。また、311ページ「日本の高い技術力」とキャプションをつけて掲載している「ブラウン管の角が妙に丸いボタン式テレビ」や、年表8ページにある「フォークギターが部屋の奥に見える『現代の家族』」など、現代を語るのに何年前の写真を使っているのか、と思わずにはいられない時代性の乖離した資料写真もあります。数多くのベストセラーを出している出版社の成果物であることが疑わしいとさえ思えます。

 確かに、市販本の売れ行きは好調です。「分かりやすく書いてあるよ」と仰る方もたくさんいます。しかし、そう仰る方はきっと、遠い昔に教科書で勉強していた記憶があるからなのかもしれません。すでに学習している既知のことがらについて文章化されたものを改めて読んでいるから「理解できた」と仰っていることも考えられます。
 しかし、この教科書を使って学習するのは、それこそ「社会科」ではなく「歴史」としてはじめて学ぶ中学生なのだ、ということを忘れてはならないと思います。「歴史観以前の問題がこの教科書にはある」と冒頭で述べましたが、他国への想像力だけでなく、「学習する立場」への想像力が欠けている点、ひいては他者への想像力が欠けている点で、教育現場で用いるには適切でないと思うわけです。

 実は、この「新しい…教科書」、教科書として発行しなくとも、教育委員会から採択されなくとも、執筆者や出版社にとっては痛くも痒くもないことは記憶にとどめておきたいところです。執筆者へのギャランティはありますし、マスコミが騒げば騒ぐほど執筆者の名前は知れ渡り、市販本も売れます。出版社も市販本で回収できるわけです。
 教科書をネタにここまで「売れる本」を作ることができる、それが「新しい…教科書」のもうひとつの「企て」なのかもしれません。ただ、そのために犠牲になったもの―近隣諸国への外交問題、国内の偏狭なナショナリズムを扇動―があまりにも大きすぎました。

 人はそれを「節操がない」と言います。それこそまさしく、一部の日本人が忘れかけているものではないでしょうか。

7月11日

 昨日の朝日新聞の社説に載っていたくだり。

インターネットの小泉ファンサイトには若者が殺到中だ。
 「定期入れには純さまの切りぬきが。ああ、幸せ…」
といったたぐいのメッセージが、いくつも載っている。

 このような書き込みをする人というのは大体相場が決まっているものです。
 そして、所得税課税額の引き下げ、配偶者特別控除の廃止、年金引き上げ…などの「構造改革」が実行されたら、真っ先に苦しむのがこういう方々なのだろうか、と思ったりもします。

 定期入れに飾っているうちが「幸せ…」なのだと思います。次第に鬼の顔に見えてくるはずです。あとになって「痛みに耐えられない(;´д`) 」なんて顔文字つきで言うのはナシです。

 「本当に怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる…」
社会民主党のCMをふと思い出しました。

7月6日

 小手先ばかりの好感度アップ作戦をやっても無駄です。
 一応はノッていますが、影ではバカにしています。
 いうまでもなく、自民党の「キャラクタァグッヅ」の話です。

 誰を撮るの? 何を撮るの? その前に議席を「獲られる」かもしれないですね。暴漢には気をつけてください。
 いうまでもなく、自民党の「ホトコンテスト」の話です。

 さっそく率先して「痛みに耐えて」いますね。
 世間の冷たい視線の「痛さ」に…。

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