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 成人式に託されたメッセージ

2000年1月16日

 静岡市長が、市主催の成人式を廃止しよう、と述べたところ、和服販売の組合から猛反発を食らったという記事が1月15日の朝日新聞夕刊に掲載されていました。市長は会場での新成人のマナーが非常に悪いことを指摘し、市の予算でやる意味がないという趣旨の意見を発表しています。

 ここ数年、成人式会場でのマナーの悪さを取り上げる記事が出てきました。壇上で市代表が訓辞を述べているにもかかわらず、私語をやめない、携帯電話の着信音は消さず、堂々と通話する、新成人同志でケンカを始める…など例を挙げればきりがありません。99年には仙台市で、講演会を開催中の吉村作治氏(エジプト考古学研究やハナマルキ味噌のコマーシャルで有名な早稲田大の先生)が、列席者の私語の多さに憤り、途中で講演を中止したことが大々的に取り上げられました。

 新成人にとっては、滅多に会うことのできない小・中学時代の同輩と再会できることの方が楽しいですから、同輩に会えるということだけで頭がいっぱいなのでしょう。市長の祝辞や大学教授の講演に耳が入らないのも分かるような気がします。

 成人式というイベントが発生したのは戦後間もなくです。戦災で家族や財産を失い、物資不足とインフレで貧窮の日々を送っていた1946年、埼玉県蕨市の青年団が若い世代の奮起を願う意味での文化事業として「成年式」を開催したのが始まりだといわれています。その後、このイベントは1948年の「成人の日」制定とともに全国に及んでいきました。

 しかしその後、成人式の意味は少しずつ変化していきます。成人式という名の同窓会です。労働力を確保するために地方から都市へ卒業学生を送り込む、集団就職という名の「民族大移動」の結果、生まれ故郷に戻って学生時代の同輩と歓談する場として成人式は重宝がられたわけです。地方によっては、正月やお盆に成人式を開催するところがありますが、これは帰省の頃を見計らってスケジューリングしたためと考えられます。過疎に悩む主催者側にとっては、「都市に出ていっても、生まれ故郷は忘れないでほしい。そしていつかはここに戻ってきてほしい」という願いがあったのかもしれません。「成人式」といえばイコール「同窓会」を指すのはこのような背景があるからだと考えることができます。

 経済成長が続き、消費社会の時代に入ってくると、成人式をマーケットとして捉える動きが出てきました。呉服業界と美容業界です。先ほどの静岡の例で成人式の廃止に呉服業界が反対したのは、マーケットの対象が消えることによる減益を恐れたためと考えられます。
 日本に古くから存在するにもかかわらず、日常被服の意味合いを失せ、フォーマルウェアとして認識されている和服。結婚式で洋装が流行ろうとした昭和40年代、ますます和服を買う、着る機会というのが減りつつあるときに注目されたのが成人式です。
 一方、美容業界では、自分や家族でできなくなった髪結いや着付けを代行することで、パーマ、カット以外での業務拡大をはかっていきました。

 こうして「成人式には晴れ着」キャンペーンが繰り広げられていきました。しかし、時代がバブルになってくると、超高級振り袖を成人式で着ていくことが一種のステイタスになるような価値観が生まれてしまったのです。
  「私の、これ、80万したの」
  「ふーん。私のなんか100万よ」
  「チェッ(死語)、負けた…」
こんな会話をどこかで聞いたことがあるかもしれません。成人式が「見栄っ張り合戦」になっていったのは何とも皮肉です。

 戦災復興、郷土意識昂揚、そして消費拡大。戦後、将来の日本を担う新成人に向けられるメッセージは時代とともに変化していきました。それにつれて主催者側が発するメッセージというものが次第に弱くなっていることに気づきます。「消費拡大」はけっして主催者側の意図ではありません。戦災復興、郷土意識昂揚の次に続くメッセージが考えられず、新成人に迎合してロックコンサートやゲーム大会を実施したところで成人式の存在意義は薄れ、主催者が意図しないところで迷走していったのかもしれません。

 それとともに、新成人そのものの意識も変化していきました。「国のため」、「町のため」そして「自分のため」というよりはむしろ、「将来のため」から「今を楽しむため」。久しぶりに会った同輩と今すぐに遊びに行きたいから、長々しい市長や市議会長の訓辞や講師の講演はうざったい(=うっとうしい)と思う。このような考えになるのはもはや必然的です。

 存在意義の薄れた成人式の行く末はいかに。いっそなくしてしまえ、という選択肢もあります。これが静岡市長様の考えですが、ご存知の通り、成人式マーケットからの集中砲火はまぬがれません。としたら、他にどんな選択肢があるでしょうか。
 同窓会部分だけを残す方向性もあります。題して「はたちの同窓会」。成人式=同窓会、これが現状ならば、「式典」と銘打たずストレートにやってしまえばいいのです。

 集客にこだわりますか? 今まで集客にこだわって迎合した結果、こんなにうるさい成人式になってしまいました。とすれば、全員出席を前提としないで希望者のみ参加を募る、という発想も可能です。「式典」だから全員平等にやらねばならない、その原則を切り崩してしまう方法です。

 「いや、わしは今の若いものに対して言いたいことがたくさんある。その機会を奪わないでくれ」とおっしゃる主催者様。メッセージにこだわるならばどんなに騒がしくともキレずに言い続けてほしいと思います。もちろん「式典」は継続させます。「将来をもっと考えよう」、「他人を思いやる」、「人生はガマンだ」、「税金や年金はしっかり払おう」、「都会に行かないで故郷を活性化させよう」…メッセージを言うこの機会を逃したら死んでも死にきれないくらいの情熱で語ってほしいと思います。そのうち何人かは必ず振り向いてくれます。「何言ってんだ、あのヲヤジ」、「キレイゴトばっかり」といった嘲笑に負けず言い続けること、それが使命です。

 趣向を変えて、別のイベントを組む方法もあります。福祉施設などで研修を開く例です。「他人のことを考える」を身を以って体験する機会が持てるかと思います。これを「ボランティア」という方がおりますが、ボランティアということばは「自発的に行なう行為」を指しますので適切ではありません。大人になっても勉強は必要だと認識させる機会です。少し押し付けがましいところで賛否分かれるところです。

 時代とともに迷走し続けた成人式。21世紀も引き続き迷走し続けるのでしょうか。迷い続けた挙げ句、消えゆく運命にあるのか、それとも「通過儀礼」的要素を持たせて永劫と続くのでしょうか。

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